曹丕(そうひ)ってどんな人?魏書には正当性を表す記述ばかり!?

2015年11月24日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



歴史上初めての禅譲(ぜんじょう)

曹丕皇帝

 

まあ紆余曲折を得て無事に太子となり、曹操が没した220年に魏公を継いだだけでなく、後漢の献帝から禅譲を受け、魏王朝を開きます。「禅譲」とは、皇帝が血縁者でない徳のある人物へ地位を譲る事です。平和裡に行われたら禅譲、無理に暴力的に奪うことは簒奪と呼びます。徳を失った皇帝が追われて代替わりすれば放伐です。神話上の五帝の時代から行われてきた…と伝わりますが、儒教が体系化する中で生まれた考え方のようです。そして曹丕は実質、禅譲を行った最初の皇帝です。ちなみに10世紀の五代十国時代、漢民族国家の後周で行われたのが最後です。曹丕の前に禅譲を行ったのは神話の時代なのですから、後漢に徳が無くなったので魏を建国する、という運びにするのは、とてもとても気を使って行われたことでしょう。一応新の王莽も前漢から禅譲を受けた…とありますが、ほぼ簒奪ですので、初めては曹丕で良いのではないでしょうか。

 

 

 

魏の正当性を述べるばかりの「文帝紀」

曹丕 スイーツ

 

実は魏書文帝紀の大部分が、禅譲の正当性を示すための記述で埋められています。形としては、民(ここでは魏公国の臣下や後漢の大臣達)からの要望を受けて、献帝からも詔勅が発せられ、これらを18回も断り続けた曹丕が最後には受け入れる…となっています。当時の人々の禅譲、皇帝位についての考え方を知るには良いところだと思うのですが、正史でエピソードを追って読みたい場合、ここを細かく読むのは苦行以外の何物でもない…私は辛かったです。

 

 

 

禅譲の後、40歳の若さで亡くなる

40歳の若さで亡くなる曹丕

 

禅譲が済んだ後は、どこへ行幸した、誰が降ってきた、呉を討伐したなど治世について書かれています。しかし文帝治世は何と7年間という短さでした。風邪をこじらせて肺炎にかかったことが原因と伝わっており、40歳の若さで崩御します。死の間際、側近の司馬懿(しばい)や陳羣(ちんぐん)達に後事を頼み、曹叡(そうえい)を後継ぎに指名しました。

 

治世の短さも相まって、文帝紀は曹丕個人についての記述というより、魏建国のために設けられた…という印象をうけます。いま手元にあるちくま文庫の『正史三国志 魏書1』だと、全90ページ弱(武帝紀は120ページ以上)のうち何と50ページが、曹丕誕生時の瑞兆だとか、禅譲に関わるやり取りの記述に割かれています。その後には即位に伴う祭祀や体制作り、そして治世についての記録、崩御に際しての弔文など。彼自身の評については最後の5ページしかありません。

 

最後の5ページ中のエピソード

曹丕 恋文

 

その僅かな紙幅から垣間見れる曹丕本人のエピソードをご紹介します。まずは「筆を下せば文章となる」と謳われた文才です。詩作のほか、文芸論『典論』、君主論『太宗論』といった文章を遺しています。また正史にはありませんが、後漢時代の説話を集めた『列異伝』の編者だとも伝わります。そのほか、若い頃には著述に励み百篇ものたくさんの文学作品を記したり、皇帝になってからも儒教の経典集『皇覧』を編纂させました。

 

註に載る『典論』から引用された本人の自己申告では、戦場の陣でも書物を離さなかった曹操を見習い、たくさんの本を読んだんだ、と振り返っています。だけど作文・詩作と読書、武術以外に、父のような多彩な趣味は無かったんだとも。ただキ(其の下に木)という遊戯は得意で極めたそうです。

 

曹丕萌えー

ツンデレ曹丕

 

若い頃の武術自慢も載っています。荀彧(じゅんいく)相手に騎射の妙技をドヤ顔(が私には見えました)で話すシーン、初めて読んだ時には結構萌えました。

冷酷、簒奪者という悪いイメージが付いている曹丕

 

よく冷酷、簒奪者という悪いイメージが付いてまわり、実際そうした逸話が残っている曹丕ですが、繊細で神経質ながら曹操の期待に応えようと頑張り、後ろ指を指される帝位にもキッパリと就き、宦官の弱体化、法整備、九品官人法の採用と内政重視の充実した治世を敷いた…ちょっと捻れて扱いにくい、けど名君。そんな曹丕の姿が見えたような気がしました。

 

関連記事:九品官人法(きゅうひんかんじんほう)は悪法?どうして曹丕は採用したの?

関連記事:【列異伝】なんと!曹丕は中国初オカルト小説の作者だった?

 

魏のマイナー武将列伝

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
栂みつは

栂みつは

初めましてこんにちは。栂(つが)みつはと申します。10代の頃から三国志にハマり、小説や演義では飽き足らず正史を購入。列伝を読みふけってはニヨニヨする残念な青春を送っておりました。

-はじめての魏
-