三国志の最大の見せ場と言えば、数多の英傑がぶつかる合戦のシーンです。
そして、そんな戦場の花形と言えば、騎兵という事になるでしょう。
では、三国志の時代の当時、馬はどのように扱われたのでしょうか?
この記事の目次
今の価格では、数百万円もする 高価だった馬
私達は、軽く馬と考えてしまいますが、今でも、馬は大変に高価です。
馬は、一頭の雌が一頭しか産めないし、人が乗れるようになるまでは、
生後2年位は掛かるようです。
しかも、それまでには、高度な調練が必要なのですから、
馬というのは、走る芸術品という存在なのです。
今でさえ、そうなのですから、三国志の時代となると馬は貴重品でした。
現在の貨幣価値で換算すると、一頭数百万円にはなると言います。
まるで、新車の乗用車レベルなのです。
当然、簡単に殺すわけにはいかないので、大事にされていました。
騎兵になれるのは、お金持ちだけ
三国志の時代の軍制では、馬は有力な豪族が個人で所有していたようです。
合戦で使う大量の軍馬を、国家が一括で飼育しているわけではないので
そうなると、必然的に金銭に余裕がある豪族位しか騎兵には成れません。
これは、中国ばかりではなく、古代は大抵の国で同じです。
だから騎兵は敬意を払われ、所作も人物もカッコいいのです。
また、馬術は、絶えず訓練しないと、合戦では使い物にならないので、
喰う事に一日の大半の時間を裂かれる農民階層は、歩兵にしかなれない
という事になるわけです。
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後漢時代の厩舎(きゅうしゃ)とは?
さて、そんな馬ですが、合戦が終わったら、或いは、飼い主を背に
乗せるのを終えたら、厩舎に帰る事になります。
もちろん、馬は、自分一人で餌を探して歩き回るわけにはいきません。
馬の世話をする、馬丁というスタッフがいて、世話をします。
イラストは、後漢時代の厩舎の様子を書いた、石刻版を描き起こしたものです。
まず、一日の仕事を終えた、馬は、口にくわえさせられている、
ハミを外され、乗せている重たい鞍を取り外し、腹帯も取ります。
鞍には大抵、矢筒が一緒についているので、これも外します。
次は、タオルか、藁で、水を被ったように濡れている馬体を拭きます。
これが一番、重要で、これを怠ると馬が皮膚病になったり、
免疫力が低下してしまって、病気になりやすくなります。
飼葉を与えて、立ったまま眠らせる
さて、一連のアフターケアが済むと、馬がお待ちかねの飼葉を与えます。
後漢の時代は、近くで鳥を放し飼いしていたのか、食事の時間には、
おこぼれを求めて、鳥が集まってくる事もあったようです。
という事は、飼葉の中に藁以外に、穀類も混ざっていたという事かも知れませんね。
馬丁は、手に棒のようなものを持っていますが、これは鞭です。
皮の鞭のようには、しなりませんが、竹などで造られていたようです。
画面の左側では、別の馬丁が、しゃがんで作業をしていますが、
これは、藁を叩いて、食べやすくしている所のようです。
馬丁は、必然的に動きやすい服装が必要になるので、
ズボンと靴を使用しているのが見てとれます。
さて、イラストを見ると、天井に四角の枠があり、
それが鎖で、ぶら下げられているのが分かると思います。
どうして、こうなっているかと言うと、馬を眠らせる時に、
腹帯を四方の鎖に結んで、馬が立って眠る時の足の負担を
軽減しているようです。
成長した馬は、立ったまま眠る事が多い
馬を立ったまま眠らせるというと、動物虐待のようですが、
そうではなく、馬は仔馬時代を除くと、生涯の大半を立ったまま眠ります。
たまに、足を休ませる為に座る事もありますが、それも、
4時間位が限度で、体重が重いので、それを超えると、
内臓に圧迫がかかり健康に悪影響があるという事です。
いずれにしても、立って眠る馬の足の負担を減らすのに、
腹帯で天井の枠に馬体を吊るして、足の負担を減らすのですから、
かなり馬の健康には、気を使っていたんでしょうね。
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三国志ライターkawausoの独り言
いつも、馬上の人にばかり、脚光が向かい、地味で目立たない馬。
でも、大変高価な馬は、とても大事にされていたのですね。
それに、馬は活動的で、陰陽思想の「陽」の象徴ともされており、
大昔は、馬を生贄にする事で死者が甦るとも考えられていたようです。
それだけ、中国人は大昔から馬に大きな興味を持っていたという事になります。
本日も三国志の話題をご馳走様でした。
—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—
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この記事を書いた人:kawauso
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どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。