孔明の愛弟子と言っても過言ではない姜維(きょうい)。
彼は孔明の初の北伐戦の時に魏を離れて、蜀へ仕えるようになります。
その後は孔明の北伐戦に必ず参加して、孔明の戦い方を隣で常に見てきた武将で、
孔明も「姜維は与えた仕事を忠実に行い、軍事においても非凡な才能を持ち、
馬謖や馬良を凌ぐ才能を有している。」とべた褒めしております。
孔明は姜維をこんなに気に入っていたのになぜ後継者に選ばなかったのでしょうか。
姜維の生い立ちを説明しながら紹介していきたいと思います。
この記事の目次
天水太守の配下として勤勉に務める
孔明は第一次北伐の時に、涼州方面へ出兵します。
天水の太守である馬遵(ばじゅん)は姜維らを引き連れ、
天水や近辺の街の巡察に出ておりました。
この時、馬遵の元に「蜀の諸葛孔明が大軍を率いて、涼州へやってきており、
涼州各地の城は孔明に内応しております。太守もすぐに戻って守備を固めた方が
いいのではないのでしょうか。」と報告してきます。
しょうがなく蜀へ降る
馬遵は報告者の進言に従い急いで天水へ戻りますが、
天水はすでに孔明の内応によって蜀の城となっておりました。
馬遵は一緒に巡察へ連れてきた姜維を疑い、
一人で天水近辺にある城へ立てこもる準備を始めます。
姜維は馬遵の後を追って城へ向かいますが、城門は固く閉ざされており、
開く気配を見せませんでした、
彼は馬遵の籠る城を後にして、生まれ故郷である冀県(きけん)へ向かいますが、
この地も城門をしっかりと閉ざし姜維が呼び掛けても、
中に入れませんでした。
姜維はこうして途方に暮れてしまい、致し方なく蜀へ降伏します。
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蜀の将軍へ出世
姜維は蜀へ降るとすぐに孔明から役職を与えられます。
彼は孔明から役職を与えられると、仕事に忠実に励んでいきます。
また孔明が北伐に向かう時は必ず参加し、孔明の側で軍略や兵士の動かし方、
趙雲(ちょううん)や魏延(ぎえん)などの歴戦の武将達からも色々と学んでいき、
着実に将軍としての力量をあげていきます。
こうして彼の力量が上がっていく姿を見ていた孔明は、
彼に征西将軍の位を与えるように劉禅(りゅうぜん)に上奏します。
孔明の働きかけにより姜維は蜀の将軍として働いていく事になります。
孔明死す
孔明は最後の北伐である第五次北伐へ出陣。
魏延や馬岱(ばたい)など歴戦の武将を投入し、総力を挙げて進軍します。
もちろん姜維もこの北伐に参加します。
孔明は五丈原に陣を敷き、長期戦になっても兵糧が無くなる事がないように
屯田を行います。
こうして魏軍との長きにわたるにらみ合いが行われます。
魏軍とにらみ合う事数か月、過労により孔明が倒れてしまいます。
その後孔明の容態は日に日に悪化し、回復する兆しを見せませんでした。
劉禅は大慌てで孔明の元に使者を出す
劉禅は孔明が倒れたと聞くと、大いに慌てます。
そして彼は李福(りふく)に「孔明がもしなくなるような事になれば蜀は終わりだ。
孔明に蜀の国を担うにふさわしい後継者を聞いてまいれ」と言い含め、
彼を使者に出します。
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孔明に次世代の後継者を決めさせる
李福は孔明がいる五丈原に到着するとすぐに孔明の幕舎へ赴きます。
そして孔明に「皇帝陛下は丞相がもし亡くなられた場合の後継者を
指名するようにとの命令を受けてきました。」と伝えます。
孔明は少し考えると「私がもし亡くなってしまった場合。
次に国政を担当させるのは蒋琬(しょうえん)に任せるとよいでしょう。」と
アドバイスを行います。
李福はうなずき「では蒋琬の次はどなたがいいでしょうか。」と尋ねます。
すると孔明は「蒋琬の次は費禕(ひい)です。彼に任せれば間違えありません」と
強い口調でアドバイスします。
再び李福はうなずき再度孔明に尋ねますが、孔明は何も言わずに黙ってしまいます。
李福は何かを悟ったのか、孔明に感謝の意を述べて成都へ帰っていきます。
孔明は蒋琬と費禕の優れた文官二人を自らの後継者に指名しますが、
ついに姜維の名前が出ることはありませんでした。
【その1】孔明はなぜ蒋琬を後継者に選んだのか
蒋琬(しょうえん)と費禕(ひい)を後継者に選んだのでしょうか。
まず第1に考えられるのが二人とも非常に優秀な文官であったことです。
蒋琬は孔明が北伐に向かう時に必ず丞相府の留守を彼に任せ、
政権が滞らないように事務作業を行わせ、
北伐を行っている軍勢に兵糧がきちんと輸送を行い、
ミスなくしっかりとこなして行きます。
孔明は蒋琬がミスなくしっかりと事務作業や兵糧輸送を行う事から、
劉禅に「もし私が亡くなってしまったら、
蒋琬を私の後継者として蜀の国政を担当させてください。」と告げておりました。
また彼は側近にも「私と共に蜀の国を支えることができるのは彼を除いていない」と
最大級の褒め言葉を述べておりました。
【その2】孔明はなぜ蒋琬が亡くなった後に費禕の名前を挙げたのか
孔明は蒋琬の死後、蜀の国政を担う人材として費禕を押したのでしょうか。
費禕はチート級の文官で蒋琬よりも優れていたかも知れません。
彼は超がつくほど記憶力が良く、
事務作業などの詳細な情報が書かれている用紙をちょっと見ただけで、
すべて記憶したそうです。
また軍事や政治など全てに関わっていた為尋常じゃないぐらい忙しいはずなのに、
客を呼んで歓談したり、碁を打っていたり、
酒を飲んだりしていたのにも関わらず、仕事を一度もさぼることなく、
しっかりと行っていきます。
こうした能力を持っている事を孔明が見つけ、
蒋琬の跡を継いで国政を担当させようと指名します。
このような理由から彼ら文官が孔明の指名を受けて、蜀の国政を握ることになります。
また蒋琬と費禕はそれぞれ文官としての能力も優れていましたが、
姜維が後継者に選ばれなかった理由は
蒋琬と費禕は上記の理由から孔明の指名を受けて、蜀の国政を握ることになります。
しかし孔明はなぜ、自分の側において育ててきた姜維を自分の後継者に、
指名しなかったのでしょうか。
私が考える理由は彼の性格にある気がします。
姜維は北伐の時も政治の時も常に孔明の側へ置かれておりました。
そして彼は少しでも早く孔明の役に立ちたいと思い、
分からない事はすぐに聞いて積極的に学んでいく姿勢を見せます。
孔明はこの姜維の積極的な姿勢を好ましく思い色々と教えていきますが、
一抹の不安を感じえませんでした、
孔明は姜維がもし自らの後継者として蜀を背負った場合、
自らの跡を継いで北伐を行い続けるのではないかと考えます。
勝つ事ができるのであれば北伐は悪い事ではありませんが、
勝算も無く国力ばかりを消費してしまう北伐を姜維が行う可能性がありました。
そのため孔明は姜維を後継者に指名することを避けたように私は思います。
孔明の不安予想が当たってしまう
孔明が姜維に感じていた不安は当たってしまいます。
姜維は蒋琬と費禕が亡くなると、すぐに北伐を開始します。
一度や二度の北伐でしたら、国力は激減することなく、回復の見込みはありました。
しかし連年の北伐を姜維が敢行した事で、
孔明・蒋琬・費禕が頑張って国に蓄えていたものがすべてなくなり、
国力は激減し民衆は苦しんでいく事になります。
孔明が危惧していたことが、孔明の死後数十年後に的中してしまうのでした。
三国志ライター黒田廉の独り言
孔明が姜維を後継者に選ばず、蒋琬と費禕を指名した理由としてもう一つあります。
それは外征に打って出ない守備的な性格を持っていたことも、
孔明の後継者に選ばれた要素であるでしょう。
国力が貧弱であるのに背伸びして、大国である魏に攻撃を仕掛け続ければ、
敗北することは必至と言えるでしょう。
そのため、外征を積極的に行わず、国力増強に専念できる性格の持ち主である二人を
後継者として選んだのではないのでしょうか。
「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう
それじゃまたにゃ~」
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