【三国志入門者向け】三国志の魏・呉・蜀を建国した君主っていったい誰?


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私達のはじめての三国志は、

三国志の初心者でも気軽で簡単に三国志の時代を楽しむ事ができるサイトを

目標に日夜一生懸命原稿を書いてサイトを更新しています。

しかし最近は三国志の中級者~上級者向けの記事や

春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)の人気マンガ・キングダムの

記事、三国志関連のゲームばかり紹介していて、

三国志を初めて知った方に優しくないと思いませんか。

そこで黒田レンは初心に帰ってはじめての三国志の初心者の為、

三国志の基本ともいえる三つの国を打ち立てた三君主を紹介していきたいと

おもいます。

 

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三国志の中に登場する三つの国とは

 

三国志に登場する三つの国の君主をご紹介する前に、

そもそも三国志に登場する三つの国とはどの国なのかをご紹介しましょう。

三国志は中国の北方~中部を領有していた魏(ぎ)。

中国の南方を領有した呉(ご)。

最後に現在の中国の四川(当時は益州(えきしゅう))と呼ばれる地方に

国を立てた蜀(しょく)。

この三つの国が中国に並立し中華の統一を目指した歴史書の事を

「三国志」と呼ぶのです。

近代日本では歴史書「三国志」が歴史小説として人気を得たことを契機に、

現在ではゲームやマンガなどで大きな話題を呼んでおり、

三国志はひとつのジャンルとして確立されているのです。

そのため皆さんも三国志と言えば魏・呉・蜀の国の事でしょ。

とある程度のイメージが沸くのではないのでしょうか。

しかし誰が魏の国の基礎を作り出したのか。

また呉の国を建設したのはあのイケメンで知られる周瑜(しゅうゆ)が、

作ったんだぜ。

蜀ってあの「孔明の罠」で有名な諸葛孔明(しょかつこうめい)が、

作ったんでしょ。

など三国志を初めて知った方は思っているかもしれません。

しかし上記は間違った知識です。

ではいったい誰がどの国の君主もしくは、

基礎を作った人物なのか三国志をはじめて知った方には知らない人が、

いると思います。

そこでここからは三国志に登場する三つの国の君主を

ご紹介していきましょう。


三国一の領土と国土を保有して魏の基礎を作った曹操(そうそう)

 

三国志で一番強いのは中国の北方~中部地方までを領有している魏です。

この魏の基礎を作った人物こそ三国志の群雄の中で

オールマイティな才能を見せた英雄曹操(そうそう)です。

曹操の出身地は沛国(はいこく)譙(しょう)県で、

曹操の出身地から前漢王朝(ぜんかんおうちょう)の創設者である、

高祖(こうそ)・劉邦(りゅうほう)が登場しております。

ついでに後漢王朝(ごかんおうちょう)を作った光武帝・劉秀(りゅうしゅう)は、

荊州(けいしゅう)の南陽の生まれです。

話が脱線してすいません。

曹操の話に戻していきたいと思います。

さて曹操は最初から三国一の強さを誇った領土を持っていませんでした。

それどころか曹操は兵力も少ししか無く、

土地も吹けば消し飛びそうな小さな土地しか持っていない為、

各地の群雄から侮られていました。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

 

曹操飛躍のきっかけとは

 

小さくてちっぽけな群雄・曹操が飛躍することになったのは、

当時中国の中部を荒らしまわっていた黄巾賊(こうきんぞく)と呼ばれる

賊徒を降伏させてからです。

中国中部を荒らし回っていた黄巾賊は100万と呼ばれる大きな賊徒でした。

曹操はこの100万と呼ばれる黄巾賊へ数千の兵力で何回も戦いを挑み、

小さな勝利を積み重ねていった事で黄巾賊を降伏させることに成功。

曹操は黄巾賊を降伏させたことによって大きな兵力を手にいれることになり、

各地の群雄であった呂布(りょふ)袁紹(えんしょう)

劉表(りゅうひょう)達を倒して、最大の勢力を築くことになります。

こうして曹操は三国一の勢力を築きましたが、

中華全土を統一することができませんでした。

それは中華の南方に勢力を伸ばしていた呉に敗北してしまったからです。

だが息子の曹丕(そうひ)が曹操の跡を引き継いだ後、

後漢王朝から皇帝の位を譲られたことがきっかけで皇帝となり、

魏王朝が創設されることになるのです。

 

関連記事:表向き武力を用いない王朝交代劇「禅譲」、曹操と荀彧の思惑は?

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三国志で一番水戦に強い南方の呉の国の君主・孫権(そんけん)

 

三国志で一番の強さを誇った曹操が天下統一できなかった理由は、

南方にできた呉の国に敗北したためです。

この呉の国の基礎を作ったのは孫策(そんさく)ですが暗殺されてしまいます。

孫策は亡くなる前に弟である孫権(そんけん)へ国を譲ります。

こうして孫権は孫策の領土を引き継いで呉の国の当主として君臨することに。

孫権は孫策の跡を引き継いだ数年後、北方を平定して大軍を有した曹操軍が、南下してきます。

曹操軍は80万と言われる程の大軍で呉の隣にある荊州(けいしゅう)を併合。

孫権政権の文官達は荊州を併合した曹操軍の巨大さにビビってしまい、

孫権へ曹操軍に降伏するよう促します。

しかし孫権は孫策の親友・イケメン周瑜(しゅうゆ)や周瑜の親友・魯粛(ろしゅく)

孫呉の将軍達から説得され、曹操を迎え撃つこと決断を下します。

孫権はイケメン周瑜を孫権軍の総大将へ任命。

イケメン周瑜は曹操軍の大軍を赤壁(せきへき)で打ち破り、

曹操の中華統一を妨げることに成功。

孫権は曹操軍を赤壁で打ち破ると内政を充実させて、

呉の国を強固に仕上げ、南方で一大帝国を作り上げることになります。

しかし孫権は赤壁で曹操の大軍を迎え撃つ決心をしたのは、

イケメン周瑜や魯粛、呉の将軍達からの説得を受けた事がきっかけでしたが、

もう一つ曹操軍を赤壁で打ち破る決断をした理由がありました。

それはある群雄からいたからです。

その群雄こそ三国最後の国を打ち立てることになった人物です。


三国志で一番最後に建国した蜀の君主・劉備(りゅうび)

 

孫権が曹操を迎え撃つ決心をしたのは劉備がいたからです。

劉備は色々な群雄に仕えてきて荊州の劉表の客となっていました。

劉備は北方を平定した曹操軍が荊州を侵攻し始めると、

荊州が勝手に降伏したこともあり逃げることに。

曹操は荊州から逃亡した劉備軍を猛追撃。

劉備軍は曹操軍の追撃を打ち破ることができずに大敗北してしまいます。

だが荊州(けいしゅう)の主である劉表(りゅうひょう)の

長男・劉琦(りゅうき)と合流することができなんとか命拾いします。

劉備は孫権の配下・魯粛(ろしゅく)の誘いを受けて孫権と同盟する決意をし、

軍師として劉備の仲間になった諸葛孔明(しょかつこうめい)を孫権の元へ、使者として派遣。

孔明は孫権に曹操軍と戦うことを提案。

孫権は孔明と話し合いをして曹操に抵抗するよう提案された事と

イケメン周瑜達や将軍達からの説得されたからこそ、

赤壁で曹操軍を迎撃する決断をしたのです。

孫権は劉備がいなければ曹操軍と単独で戦う事をしないで、

曹操に降伏してしまったかもしれません。

さて劉備は赤壁で孫権軍に曹操軍が敗北すると領土を急速に拡大し、

現在の中国の四川(当時は益州(えきしゅう)を領土にして、

一大帝国を築くことになります。

こうして曹操が基礎を作った魏。

曹操の大軍を打ち破って内政を充実させた呉。

そして急速に領土を拡大して国を作った蜀。

この三つの国が中華の統一を夢見て争った古代中国の時代を三国時代と言い、

この三国が争った時代を綴った歴史書の名前が「三国志」と

呼ばれ現在でも歴史好きに親しまれることになるのです。


  

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

初めて私達のサイトに来た方はどれから記事を読めばいいのか、

迷ってしまう方が多いと思います。

そのため今回は三国志を初めて知って私達のサイトにたどり着いた人々の為、

三国志に登場する三つの国の君主が、

誰なのかを超ザックリとですがご紹介しました。

今後はこのように三国志を初めて知って私達のサイトを訪れてくれた人の為、

三国志の初心の事を綴っていければと思います。

 

参考文献:ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 訳井波律子など

 

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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 


 

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