『三国志』を読めば読むほど、
人材の大切さが身に染みてわかりますよね。
人材にこだわり抜いた曹操が最終的に
三国中で最強とされる魏を築き上げましたから
その重要性は十分に裏打ちされているといえるでしょう。
しかし、あの袁術だって曹操に負けず劣らず人材に
強いこだわりを持っていたのだとか。
ただ、曹操と違うのはその人材を捕まえ損ねることが多かったということ…。
今回は、袁術が逃がした大きなお魚たちを紹介していきたいと思います。
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この記事の目次
息子とまで思っていたのに…孫策
袁術軍で一際異彩を放っていたのは言わずと知れた呉の孫策です。
彼は父・孫堅が遺した軍勢を巧みに操り袁術のために尽くしていました。
ところが袁術はその働きに見合った恩賞を与えません。
孫策が得たものは何やかんやと理由をつけて
自身の身内やら側近やらにプレゼント。
孫策に対して「お前は息子のようなものだ」と言っていながら
結局は赤の他人のように扱う自己矛盾者・袁術に対し
孫策もいよいよ不満を募らせます。
最終的に自ら皇帝を名乗りだした袁術に
愛想を尽かして袂を分かった孫策は、
江東に呉の礎を築き上げるに至ったのでした。
その行く末を見透かした周瑜
後に赤壁の戦いでその手腕を振るう呉の重臣・周瑜も
実は袁術からスカウトを受けていました。
ところが、そのスカウトを受けていたときには
周瑜は既に孫策の独立の野望の片棒を担いでいたのです。
袁術に将来性無し!と見切りをつけていた周瑜は、
「居巣県の長になりたいので」
と言って袁術のもとからササっと去っていったのでした。
お人好しの魯粛さえ…
周瑜が孫策のもとに帰ろうと思い立つも食料不足で悩んでいた際、
2つの食糧庫のうち1つを丸ごとドーンと差し出したという
あのお人好しの魯粛も実は袁術に仕えていたことがありました。
しかし、袁術は身内びいきが過ぎる上にやることなすこと滅茶苦茶…。
こんな人にはついていけない…と思った魯粛は
周瑜を頼って一緒に長江を渡っていったのでした。
魯粛の弁舌にすっかり酔いしれた孫策は
魯粛のことをそれはもう大切に扱ったのだそうです。
袁術はなんかよくわかんないけど絶対嫌…!何夔
宦官に疎まれて没落した家に生まれた何夔は、
父を早くに亡くしたために母と兄と慎ましく暮らしていました。
そんな彼らは戦乱に巻き込まれることを恐れて揚州に移住します。
ところがその揚州に争いの台風の目ともいえる人物・袁術が上陸。
袁術は遠縁でもある何夔を登用しようと何夔に誘いを掛けます。
しかし、何夔はこれを突っぱねました。
その数年後、袁術が曹操の立て籠もる蘄陽を攻め落とそうとした際に、
袁術はその蘄陽出身である何夔を使って城門を空けさせようと考えます。
袁術は何夔を強く脅しますが、何夔はそれでも首を縦に振りません。
袁術は怒り狂ったものの遠縁ということで殺すことはせず、
味方につけることを諦めます。
その間に何夔は抜け道を通って
ちゃっかり袁術と敵対する曹操陣営に入ったのでした。
どんだけ袁術が嫌いなの、何夔…。
呂布に奪われ、曹操にとられた袁渙
真っ直ぐな人柄で袁術に愛された袁渙ですが、
呂布との戦いに敗れて捕まってしまいました。
その後は呂布に仕えましたが、今度はその呂布が曹操に敗れてしまいます。
降伏した将たちが曹操に対して土下座さながらの挨拶をする中、
袁渙だけは普通に挨拶をし、曹操が降伏者に物資を与えた際には、
他の降伏者たちがこぞって物資を奪い合う中で
袁渙だけは書物とわずかの食料を手に取って満足げにしていました。
その姿を見ていた曹操は
袁渙がただならぬ人物であるとすぐに見抜いて重宝したといいます。
袁術は本当に惜しい人を失いましたね。
まさかの急死…鄭泰
何進が宦官暗殺に失敗して返り討ちの憂き目に遭ってしまった後、
鄭泰は表向きには董卓に仕えながらもその暗殺を企てていました。
しかし、暗殺計画は失敗に終わり袁術のもとに落ち延びます。
袁術はこれを喜んで迎え入れて揚州刺史に任命しますが、
何と揚州に向かう途中で病により急死…。
ではその弟を…と袁術が鄭渾に声をかけるものの、
鄭渾は「袁術はちょっと…」と
さっさと曹操のもとに行ってしまったのでした。
袁術も何だか狐につままれた思いがしたことでしょう…。
味方になるどころか…陳珪
揚州を支配した袁術は何夔だけではなく
陳珪にもラブコールを送っていました。
しかし、天は曹操に味方していると考えていた陳珪は
袁術に仕えることを拒みます。
その後は呂布に仕えますが、
袁術が呂布に縁談を持ってきたのを見て
破談になるように画策。
怒った袁術は呂布を攻めますが、
陳珪の計略によって大いに破られます。
その後も陳珪は曹操が勝つようにうまく立ち回って
間接的に呂布や袁術をボコボコにしたのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
次々と人材が逃げたり捕まったり、不慮の死を遂げる袁術
何かに祟られていたのかも知れません。
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