長坂の戦いとはどんな戦いだったの?

2019年8月7日


 

劉表死す

 

建安13年(208年)に荊州の長官の劉表(りゅうひょう)が亡くなりました。前年に袁尚(えんしょう)を滅ぼした曹操(そうそう)は急いで南下して征服します。

 

曹操から逃げ回る劉備

 

これに驚いたのは劉表の客将だった劉備。慌てて退却開始です。曹操も負けじと劉備を追って長坂で戦うことになります。さて、今回は正史『三国志』の長坂の戦いについて解説します。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐庶脱退

徐庶

 

徐庶(じょしょ)諸葛亮(しょかつりょう)の加入前の軍師的存在であり、諸葛亮を推薦した人物として有名です。劉備に仕える前は、「単家(たんか)」の人物でした。「単家」というのは貧しい出身の人物を指す言葉です。

 

剣を持って戦う徐庶

 

小説『三国志演義』の作者はこれを「単家(ぜんけ)」と呼んで、徐庶が以前は「(ぜん)」という名字だったと勘違いしていました。話が逸れたので戻します。ところが、長坂の戦いの最中に徐庶の母親が曹操軍に捕縛される事件が発生!

 

ちなみに・・・・・・徐庶の母が捕縛されたのは偶然です。

 

「なんでだよ、晃?『三国志演義』では曹操が徐庶を欲しいから母を人質にする話があるだろう?」

 

曹操にヘッドハンティングされる徐庶

 

あれは小説の創作。正史『三国志』や他の史料を読むと、勝った方が負けた方の人間を連れていくのが当たり前。男・女・子供・老人。とにかく関係無しです。どういう理由で連れていくのかは、読者の皆様のご想像にお任せしますけど・・・・・・

 

劉備の元から離れたくない徐庶

 

徐庶は主君か母親かの選択を迫られますが、最終的に母親を選び劉備に別れを告げました。徐庶はその後、(220年~265年)で出世して生涯を終えたようです。

 

 

 

趙雲奮戦

曹純

 

徐庶が脱退してションボリした劉備のもとに、とんでもない報告が入ります。妻の(かん)夫人と息子の劉禅(りゅうぜん)が行方不明になり、また娘2人が曹操の従弟の曹純(そうじゅん)に捕虜にされました。

 

悪い報告はさらに続きます。

 

趙雲(ちょううん)が曹操軍に降伏しました」

 

劉備の下で働くと決めた趙雲

 

趙雲は公孫瓚(こうそんさん)配下の人物でしたが劉備と意気投合して、配下になった将軍です。劉備とはベッドを一緒にするほどのヤバイ仲でした・・・・・・

 

報告を耳にした劉備は、「バーカ、バーカ!趙雲が裏切るわけねえだろう!」と急に無双モード全開になって伝令をした兵士をボコボコにします。50歳に達する大人の行動とは思えない・・・・・・

 

ところで劉備がガチギレしている間に、趙雲は何をしていたのでしょうか?

 

長坂の戦いでの趙雲

 

 

実は見失った甘夫人と劉禅を捜索していました。趙雲は(おとこ)です。凄いことに趙雲は2人とも見つけることに成功して、曹操軍の包囲網を突破して帰ってきたのです。趙雲が帰ってきた時に劉備はきっと、誤報を入れた兵に対して「ざまあみろ、バーカ」と絶対に思ったでしょうね。しかし趙雲は劉禅はともかく、大人の甘夫人をどうやって馬に乗せて帰ってきたのでしょうか。

 

それにツッコミを入れるのは野暮ってものですか・・・・・・

 

張飛奮戦

張飛の虎髭

 

一方、こちらは張飛。曹操軍が来るので長坂橋で待ち受けます。しかも20騎だけです。やった来た曹操軍は張飛から「俺は張飛だ。死にたければ来い」と言われてビビッてしまいました。

 

張飛

 

後世の芝居では、この部分が脚色されて橋が崩れてしまったことになったり、水が逆流したりと奇想天外な内容になっています。だが、どうにか張飛の活躍もあって劉備は窮地を脱することが出来ました。

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が正史『三国志』での長坂の戦いでした。

 

余談ですが小説『三国志演義』では、劉禅と一緒に行方不明になっていた劉備の妻は、麋竺(びじく)の妹の(夫人です。麋夫人は趙雲に救出されるも、足手まといになることを危惧して井戸に身を投げて自殺する最期になります。

 

史実の麋夫人の最期については何も語られていませんが、中国文学者の高島俊夫(たかしまとしお)氏は『三国志演義』の内容は事実だった可能性があると推測していました。

 

※参考文献

 

・高島俊夫『三国志 「人物縦横断」』(初出1994年 のち『三国志 きらめく群像』ちくま学芸文庫 2000年に改題)

 

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