もしも、馬謖が劉備に排除されていたら北伐はどうなる?

2020年2月15日


 

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山頂に陣を敷いた馬謖

 

劉備(りゅうび)(しょく)の大きなつまづきは二回あったと言えます。第一には劉備が引き起こした夷陵(いりょう)の戦いによる敗戦であり、これで蜀は多くの有為な人材を戦死させてしまいました。そして、次のつまづきは第一次北伐による街亭(がいてい)の陥落であり、これにより当初電撃作戦だった北伐は、魏の最大限の警戒の中で五度も行われる事になり、蜀の衰亡を早めたのです。この第一次北伐で街亭を失う大チョンボをしたのが馬謖でした。

 

では、仮に馬謖が劉備により排除されていたら、歴史はどうなったのでしょう?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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史実の劉備は馬謖を排除できず・・

夷陵の戦いで負ける劉備

 

馬謖は荊州従事(けいしゅうじゅうじ)として劉備の入蜀に従います。従事というのは劉備の秘書の事であり、実戦で指揮を執る役職ではありません。馬謖は実務能力を発揮し、緜竹令(めんちくれい)・成都令・越雟(えっすい)太守に出世しますが、高い能力を持ちよく軍略を論じていたようです。

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

しかし、実戦を経験していない馬謖の軍略は机上の空論であり、兵卒から鍛えあげた劉備から見ると不安を覚えるものでした。劉備は夷陵の敗戦の心痛から病気になり人生を終える事になりますが、臨終間際、諸葛亮に「馬謖は口先だけで実力が伴わないので、重い仕事を与えてはならない」と遺言します。ところが、孔明は口先でハイと言っただけで聞きませんでした。

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

諸葛亮は内心(実務を積めば文句ねーんだろ)と考え、馬謖を第一次北伐に起用し、宿将の魏延(ぎえん)呉懿(ごい)が適任だという声を押しのけて街亭の守備を任せて大敗します。この敗戦で魏は漢中周辺の警戒を強めるようになり、北伐で功績を上げるのは余計に難しくなるのです。

 

地獄へ道連れ!劉備、馬謖を夷陵の戦いに従軍さす

朝まで三国志 劉備

 

そこでifでは劉備に、もっと積極的に馬謖を排除しようと動いてもらう事にします。劉備は実戦経験に乏しい癖にビッグマウスの馬謖を忌々(いまいま)しく思っていましたが、ここは発想の転換だと、自ら馬謖を鍛えあげようと思い付きました。ビシビシ指導して実戦が甘くない事を悟れば、少しは馬謖もモノになり謙虚になって、分不相応(ぶんふそうおう)な大口を叩かなくなると考えたのです。これなら孔明も文句を言えません。劉備は夷陵の戦いに馬良も参加している事から弟の馬謖も従軍させ、実戦経験を積ませると諸葛亮を説得しました。

 

韓信と劉邦

 

内心嫌な予感がする孔明ですが、「俺が直々に馬謖を鍛えるって言ってんのに、なんか文句あんのかよ!」とジャイアニズムを発揮する劉備に逆らえるわけもなく、愛弟子(まなでし)の馬謖を泣く泣く夷陵の戦いに出してしまいます。そして史実通り、劉備は大敗、馬謖は兄の馬良共々戦死しました。

 

激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

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街亭の担当者は魏延&呉懿に確定

馬謖の失敗に嘆く孔明

 

諸葛亮は馬謖が戦死した事に衝撃を受けますが、済んだ事はどうにもなりません。劉備の死後に諸葛亮は南中を征伐し、その時に馬謖のプランを採用して孟獲(もうかく)七従七禽(しちしょうしちきん)する事で心服させたのですが、これについては馬謖でなくてもプランは出せたでしょう。

 

孔明による出師の表

 

そういう事で歴史に大きな変化は起こらず、首尾よく南中をある程度平定した諸葛亮は、西暦228年、劉禅に出師(すいし)の表を奉り北伐の軍を起こしました。

 

男気溢れる趙雲

 

第一次北伐は、かなりセコイ戦いで、最初に趙雲(ちょううん)鄧芝(とうし)の軍勢を斜谷(しゃこく)から長安(ちょうあん)に向けて進軍、郿城(びじょう)を奪うと宣伝させて曹叡(そうえい)の意識を趙雲と鄧芝に集中させます。こうして、曹真の大軍が趙雲と鄧芝を阻止する為に動いたのを見計らい、本隊の諸葛亮は祁山(ぎざん)に布陣して、天水・南安・安定を攻略して魏の勢力を追い出して涼州の支配を確定します。

 

 

さらに先鋒の別動隊を街亭に向かわせて隘路を塞がせ、諸葛亮の本体を撃破する為に進撃してきた張郃(ちょうこう)の軍勢を足止めして時間を稼ぎ、その間に涼州攻略を成し遂げる作戦でした。

手柄を立てる張コウ(張郃)

 

魏の古参の名将である張郃に対応するには、ベテランを()てないといけないので、軍議では魏延か呉懿を先鋒としてはどうか?という意見が支配的でしたが、史実では諸葛亮はこれを抑えて、馬謖を先鋒に起用して大失敗するわけです。

 

魏延

 

しかしif三国志では、馬謖は劉備が自ら鍛えると言って夷陵の戦いに引っ張っていき、そこで戦死していますから馬謖はいません。そこで魏延がそのまま先鋒になりました。

 

魏延は見事に張郃を足止めしたが・・・

蜀の魏延

 

魏延は先鋒を任されると真っすぐに北上し街亭に到着。馬謖のように山上に布陣して(ふもと)の水を絶たれる事もなく、やってきた張郃の軍勢をよくしのぎ度々撃破しました。それを受けて、魏延はいよいよ意気軒高(いきけんこう)になり、諦めて退却の素振りを見せる張郃を強襲しようと画策しますが、そんな魏延に耳を疑う情報が届きます。

 

孔明

 

三郡を落とした諸葛亮が隴西の太守の游楚(ゆうそ)の守備に阻まれて、それ以上進めなくなり、さらに魏の涼州刺史の徐邈(じょばく)も援軍を派遣し南安を奪還していたのです。これを受けて諸葛亮は退却の準備に入っていました。

 

楊儀と魏延

 

「なにやっとんねん丞相(じょうしょう)!ワシが張郃を抑えてもあんたが頑張らな意味ないやないか」

魏延は地団駄踏んで悔しがりますが、そこにさらなる悲報が届きます。箕谷(きこく)で曹真の大軍を抑えていた趙雲と鄧芝の軍勢が支えきれずに退却を開始したのです。

 

不満が溜まる魏延

 

「なにをヘタっとんねん趙雲!長坂(ちょうはん)の時の根性みせェや!」

 

魏延は副将の王平(おうへい)襟首(えりくび)を掴んでつるし上げますが、そんな事をしても仕方ありません。ぼやぼやしていると、趙雲と鄧芝が破られて曹真の大軍が漢中に入ってしまい、そのまま成都が陥落する危険もあるのです。

 

王平は四龍将

 

王平「魏将軍、口惜しさはお察ししますが、成都が落ちては元も子も・・」

 

魏延、姜維、王平、楊儀

 

魏延「くっそぉ!!丞相がアホやから、戦ができひん」

魏延は、えもやんのような事を口走ると、退却してくる諸葛亮の本体と合流し散々に悪態をつきながら漢中へと引き上げていきました。

 

手柄を立てた魏延は諸葛亮にウザがられ粛清

負けた魏延

 

第一次北伐の敗戦で、諸葛亮は二階級降格、趙雲も曹真を防ぎきれなかった理由で降格。街亭を守り切った魏延と王平だけが称えられる事になります。こうなると、元々、傲岸不遜(ごうがんふそん)な魏延の諸葛亮批判は止まらなくなりました。

 

魏延からの提案を却下する孔明

 

「魏を倒したいなら長安への電撃戦じゃあ!ちまちまと涼州を得ようとか、諸葛亮はやる事がちいさいんじゃあ、アホちゃうか!」

戦いに負けたのは自分が悪いのだからと我慢していた孔明ですが、次第に魏延に同調する勢力が出来た事で危機意識を抱き、とうとう魏延を粛清してしまいましたとさ

 

if三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

というわけで、馬謖が劉備に排除されると、魏延が街亭を守り抜き、それ以外の諸葛亮と趙雲の軍勢が魏に敗北した事で、魏延が蜀で増長し、五丈原での孔明の死を待たずに、魏延が排除されてしまうというのがkawausoの予想です。

 

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