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落日の呉を支えていたのは丁奉と陸抗の二本柱!この二人には英雄の時代に転生してほしい

2020年2月19日


 

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丁奉(ていほう)

 

よほど「呉が好き!」という人でないと着目しないコンビかもしれませんが、丁奉(ていほう)陸抗(りくこう)の働きぶりって、すさまじくないですか?

呉の最期の輝きともいえる好人材であり、つくづく、感動してしまいます!

 

自称・皇帝
当記事は、
「丁奉 陸抗」
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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落日の呉を支えていたベテラン!あと一歩で蜀すら救出していたかもしれない丁奉!

 

 

まず丁奉といえば、『三国志演義』の印象で言うならば、徐盛(じょせい
)
とコンビを組んで登場し、諸葛亮(しょかつりょう)を暗殺しようとしてコテンパンに返り討ちにあうという、「かませ役担当」のモブ扱い。しばしば名前は出て来ますが、あくまで「呉の様々なキャラの中の一人」という印象です。

 

双流星を振り回している徐盛

 

ところが正史のほうでの扱いは、悪くない。呉の歴史を支えた大功臣の一人として、周瑜(しゅうゆ)魯粛(ろしゅく)呂蒙(りょもう)といったネームに負けないインパクトで語られています。

 

周瑜

 

特に、周瑜にせよ呂蒙にせよ、とにかく早世する人が多い呉の中で、丁奉のキャリアの長さはそれだけで特筆すべきことでしょう。孫権(そんけん)時代から孫晧(そんこう)時代まで、まさに呉の歴史を見ながら生きていた男。残念ながら正確な生年がわからないので、どれくらいの年齢だったのかが判然としない人物ですが、孫晧の時代には大ベテランの年齢であったとは推測できます。

 

そんな盛りを過ぎたはずの将軍が、最後まで呉軍の最前線に立ち、魏の側で反乱や戦乱が起こるとそのスキを見逃さずに攻撃をしかけ、戦果をあげ続けていたわけです。また蜀が滅亡した際、呉からの救援軍として魏の後方を牽制していたのも、丁奉の軍勢でした。もし蜀がもう少し骨のある戦いをしてくれていたら、丁奉の後方攪乱がだんだん効いてくることで、蜀が滅亡から救われていた展開もあったかもしれません。

 

蜀の姜維

 

その場合は、姜維(きょうい)と丁奉のコンビネーションという、夢の共同戦線が、三国時代にもう一花を咲かせていたかもしれません!かえすがえす、蜀のあっけない敗北は勿体ない!

 

新世代のホープ!江陵で鬼気迫る防衛戦を見せた陸抗!

陸抗

 

もう一人の「呉を最後まで支えた功臣」、陸抗(りくこう)も忘れてはいけません。晋に対する最終防衛線ともいえる荊州に赴任し、名将羊祜(ようこ)が仕掛けてくる猛攻を、たびたび撃退する戦績をあげ続けていました。

 

陸遜

 

こちらは、かの陸遜(りくそん)の子。『三国志演義』の印象ではありますが、陸遜と丁奉には、最初は反目しあい、その後に認め合う仲になったというプロセスがありました。それが本当ならば、陸抗を見る丁奉には、かつての陸遜のことを思い出す瞬間もたびたびあったことでしょう。陸遜の子が、頼もしい軍略家として大成していることに、いいがたい感動を持っていたかもしれません。

 

新旧二世代の英傑を使いきれなかった呉の無念さ!

はじめてのプロ野球

 

それにしても英雄らしい英雄が出てこなくなってしまった最終版の呉において、この二人の奮戦ぶりは感動的です。プロ野球チームに例えると、すでに優勝争いから脱落し、ファンからも見放され始めているようなチームで、

 

野球をする曹操と関羽と呂布

 

・往年のベテラン打者が四番打者としてほとんど一人で打線を引っ張っている

・新世代のホープであるピッチャーが一人、他チームへの移籍という誘惑にも負けず、エースとして投手陣を引っ張っている

・この二人がいるかぎりギリギリ最下位には落ちない、よってファンも、この二人がいるかぎりは、どこか見捨てられない

 

という状況でしょうか。そんな丁奉と陸抗が亡くなった後、呉は一気に崩壊へと突き進むのですから、なおさらこの二名の名前は私たちに強い印象を残します。

 

まとめ:これほどの二人とうまくやれていなかった孫晧って

孫皓に対して戒めの手紙を書く陸抗(りくこう)

 

丁奉と陸抗には、さぞかし呉に対して熱い想いがあったのでしょう。それゆえ、実はこの二人、君主である孫晧に対しても容赦がなかった、という共通点があります。陸抗は、たびたび孫晧の言動を諫める上申を行い、かなり耳に痛いアドバイスもしていました。

 

他の武将が孫晧に諫言をすると、殺されていたという時代だったのに!たいへんな勇気だと思います。おそらくそれも、陸抗としては孫晧への忠誠心というよりも、「呉の国に長く生き残ってほしい」という一心からの諫言だったのではないでしょうか。

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

この点で、さらに強烈なのは丁奉です。この人は孫晧に仕えながらも、実際には「孫晧には呉を引っ張っていくのは無理」と判断したらしく、一度、孫晧の暗殺未遂までやってしまっています。これもまた、丁奉は孫晧への忠誠心ではなく「呉の国に長く生き残ってほしい」という一心で戦っていたことの証左ではないでしょうか。

 

孫晧(孫皓)

 

それにしても意外なのは、他の部下はどんどん粛清しつつ、この(危険なはずの)二人はなぜか殺さなかった孫晧の態度。この点だけについては人物眼があったのでしょうか。もっとも、丁奉と陸抗が亡くなった後、あっけなく降伏して助命嘆願をおこなった孫晧のこと。

 

もしかしたら単純に政治に興味がなく、「丁奉と陸抗にめんどうくさいことはまかせておけばラクでいいや」くらいの気持ちだったのかもしれませんが。丁奉の暗殺未遂という異常事態については、そもそものんきに気づいていなかったのかもしれません。最終版の呉には、いろいろな意味で張り合いがなく、丁奉と陸抗には哀しい組織でした。ぜひともこの二人には、いまいちど、曹操劉備・孫権が全盛期の時代に転生して、タッグを組んでおおいに暴れてほしいものです!

 

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陸遜特集

 

 

 

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