郭援は魏で三公にまで昇進した鍾繇の姉の子に当たり、鍾会の伯父でもあります。
但し、郭援自体は曹操には仕えず、袁紹没後に袁尚に仕え、曹操サイドに仕えた叔父の鍾繇と激突、骨肉の争いを演じる事になります。しかし、魏の元勲の一族なんだから、さぞかし手強いヤツかと思いきや、郭援は残念な将軍でした。
「郭援とは」
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挟み撃ちにするはずが最初からケチがつく郭援
官渡の敗戦のショックで202年に袁紹が死去すると、曹操は、袁紹の後継者である袁譚・袁尚を攻撃します。勢いで曹操に押された袁尚は、曹操の後方を脅かす作戦を取り、匈奴単于の呼廚泉に平陽で反乱を起こさせてから、郭援と高幹に数万の軍勢で曹操の領域に侵攻させます。
この時、タイミングよく、馬騰も曹操を裏切って袁譚らに内通しようとしており、郭援には願ってもないチャンスでした。しかし、ここで叔父の鍾繇が郭援の弱点を分析。張既と傅幹に馬騰を説得させ味方に引き戻してしまいます。
寝返った馬騰は馬超と龐徳に兵一万人余りを預け鍾繇の援軍として、郭援と高幹に向かってきます。最初から、なんだかケチがついた郭援でした。
絳県の賈逵に足止めされる
叔父の活躍で、馬騰の寝返りが帳消しになった郭援ですが、頑張って平陽城に向かって進撃します。しかし、たった一つ絳という県城だけが頑強に抵抗し落ちませんでした。ここでは、郡吏の賈逵が一年戦争のブライトよろしく、住民の心を掴んで激烈に反抗していたのです。イラついた郭援は呼廚泉を呼び出し、倍の兵力で烈しく攻めると、絳の父老は賈逵を助命する条件で降伏を受け入れます。
郭援は、賈逵の才能を買い俺の軍師になれと脅しますが、誇り高い賈逵は土下座させようとする兵士の手を振り払い、
「堂々たる長史が賊に頭をさげられようか!」と叱りつけます。
魏略によると、賈逵は郭援にも「貴様は、どこの馬の骨だ?」と罵倒するような文言を吐いています。
これに怒った郭援は賈逵を斬れと命じますが、賈逵の男気に惚れたのか、部下は賈逵に覆いかぶさるようにして助命を願い、さらに、絳の父老も賈逵を斬るなら城を枕に討ち死にだーとエキサイトします。賈逵、すげー人望です。
郭援は渋々賈逵を殺す事を諦め、穴倉の中に閉じ込め上に車輪を被せて部下に守らせ、いずれは殺そうとしていました。
今度は参謀が賈逵に味方する
穴倉に閉じ込められた賈逵は、大人しくすることなく、上の兵士に叫び続けます。
「ここに男は一人もいないのか?国を救わんとする義士を見殺しにするとは」
警備兵は、聞こえない振りをしましたが、祝公道という男が賈逵とは面識がないものの、立派な事を言っていると感じ入り、夜中に穴倉に忍び込んで賈逵を引き上げて枷を折って逃がしてやりました。
一説では、この祝公道、郭援の参謀の祝奥だと考えられているそうです。もし、そうなら、郭援の人望のなさはかなりのものですね。
さらに賈逵は、皮氏という城を先に奪い取ったほうが河東郡の戦いを制すと知り、祝奥を計略で七日間も足止めし、その間に曹操軍は皮氏を抑えたので、ついに郭援は河東郡を落とす事が出来ませんでした。郭援のツキの無さは、ちょっと洒落にならないですね・・
龐徳に首を斬られるが大将クビとは気づかれず・・
その後、郭援・高幹の并州軍は、平陽において鍾繇・馬超・龐徳の関中軍と衝突します。先に汾水に至った郭援ですが、関中軍閥の力を軽視していました。そして、并州連合軍が先に渡河するのは危ないと諫言するのを無視して渡河します。
鍾繇は郭援の性格を見抜き、并州連合軍が半分渡河した所で、関中連合軍で総攻撃を掛けます。これにより、前にも後にも進めない并洲連合軍は大混乱。郭援は乱戦の中で敵の龐徳に斬首されて戦死しました。まったくいい所がないままの呆気ない最期です。
ところが、龐徳は乱戦ゆえに自分が斬った首が大将クビとは思わずに弓袋に入れたままでした。
やがて、曹操陣営では
「郭援の首がない!逃げられたのか」
と大騒ぎ、そこに龐徳が来て弓袋を漁ると、そこから郭援のクビが出てきたのです。鍾繇は甥の郭援のクビを見て泣き叫びます。
龐徳が気の毒になり陳謝すると鍾繇は
「我が甥とは言え、謀反人である。謝罪は無用」
と告げています。
三国志ライターkawausoの独り言
郭援は鍾繇の甥ですが、そんなに秀でた部分がありません。それよりなにより、大将になった晴れ舞台で、骨肉の鍾繇に妨害され、デビューしたばかりの賈逵に足を掬われ、最後には龐徳に、どこのだれかとも分らないままに殺されてしまうという、不幸の星の下に生まれた残念将軍なのです。もっと悲惨な事に、郭援、これだけ面白いオチを持ちながら三国志演義に出てきません。なにひとつ浮かばれない人物なのです。
参考文献:正史三国志
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