三国志、三国志演義両方でとてつもない悪漢とされる存在、黄皓。彼は卑しい身分でありながら劉禅の寵愛を受けて出世、権力掌握、そして政治を好き放題して蜀の滅亡を招いた人物として歴史に記されてしまった人物でもあります。
今回はそんな彼の最期を振り返りつつ、共に三国志の歴史も振り返ってみたいと思います。
黄皓という人物
まずは正史から見ていきましょう。諸葛亮の没した後、後任として董允が跡を任されました。しかし残念ながら彼は病没。その後に董允の後任となったのが陳祇、そして彼と共謀して政務を仕切るようになったのが黄晧です。後に黄晧は中常侍までになります。
分かりやすく言うと社長秘書ですね。このため劉禅は黄晧の言うことばかり聞いてしまい、黄晧の専横が始まってしまうのです。
三国志演義での黄皓
ぶっちゃけると正史より非常に扱いが悪いです。というか正史三国志でも良い所はないのですが……それに輪をかけて酷い存在にされています。
諸葛亮の在命時から悪辣卑劣な人物として描かれ、私腹を肥やす、敵と通じる、姜維の北伐を邪魔すると最早最大の敵は味方という存在。
果てには「なんか良く分からないけどいきなり出てきた巫女」を呼び出して予言をさせて政治させるというもう何が何だか……という有様に。
蜀が滅亡した原因であり賄賂で逃亡するも司馬昭の怒りをかって惨殺されるという当然のような末路を迎えることとなっています。
正史での黄晧はどうなったのか?
さて三国志演義では「ざまあみろ!」という最期を迎えた黄皓は、正史ではその最期までは記されていません。蜀を制圧した鄧艾が民衆から黄晧に対する悲惨な訴えと評判を聞くと怒り、黄晧討つべしと彼を捕縛しようとするもそれを知った黄晧は賄賂で逃亡し、姿をくらませてしまったというのが彼の最期になります。
正直民衆の人気最悪である彼が生き残れたとは思えませんが、その怒りが三国志演義での悲惨な末路を迎えさせたのではないかと思われます。
歴史を振り返ってみるとあることに気付く
では黄晧を見ながら三国志の歴史を振り返ってみましょう。黄皓は宦官です、そして政治を掌握し、歪め、国を滅亡させたと言われるような人物です。
ここで何かを思い出しませんか?
そう、三国志の始まりとも言える場面で出てくる最初の悪役、十常侍。彼らもまた宦官であり、政治を掌握して歪めた人物たちとして知られている存在です。
宦官・十常侍
ここで少し宦官と十常侍について説明しましょう。
宦官は皇帝に仕えるために忠節の証として男性器を切り落とした存在です。もちろんこうなると子供が残せません。が、一部の宦官たちは養子を取ることが認められていました。
しかしこの養子縁組が肝となり、養子やその親族を増やして地方の権力者となり、皇帝の名を借りた略奪、暴行が行われたために皇帝の人気はだだ下がり、漢室の権威もだだ下がり。果てには黄巾の乱が起こる原因となってしまったのです。
宦官排除
黄巾の乱が鎮圧されるために数々の武将たちが集まりますが、この際に何進や袁紹といった人物たちが宦官、主に十常侍を排除するべく行動開始。
殆どの宦官たちが排除され、この時に霊帝の子を連れて逃げていた張讓、趙忠は偶然通りがかった董卓によって……恐らく殺され、遺児たちは董卓が保護することとなりました。
この後、十常侍の件からか宦官の政治参入には制限が設けられることとなりました。ただし宦官という存在は皇帝からすると便利な存在であったのか、晋の時代になると再び宦官という存在が政治を掌握するようにもなってきたと言います。こう見ていると黄晧の存在は三国志の象徴とも言え、宦官という存在が三国志に大きく影響を与えていた陰の存在とも考えられますね。
ちょっと雰囲気を変えて
さてもの悲しい話になりそうですので最後に小話を。十常侍と言えば十人と思われるでしょう。確かに三国志演義では十常侍は十人です。
しかしなんと正史三国志では張讓、趙忠、夏惲、段珪、郭勝、孫璋、畢嵐、栗嵩、高望、張恭、韓カイ、宋典……つまり十常侍なのに十二人いる!?という謎の事態が。
これは十常侍の方が十二常時より語呂が良かったからでは、とも言われていますが、何だかクスッと来てしまいませんか?
十二人で十常侍、よろしくお願いします。
三国志ライター センのひとりごと
黄皓の最期は歴史からは分かりません。しかし三国志のスタートは宦官という存在であり、最後もまた宦官。そう思うと繰り返してしまった歴史を感じさせます。
ただ黄晧の評価に関してちょっとフォローをすると、正史を書いた陳寿は黄晧によって左遷されたのでその怨み補正もあるのかな……と思っています。ともあれ黄晧はやはりフォローしきれない悪人であることも思うと、歴史に名前が残される宦官にはあまり良いイメージがないのが悲しい所ですね。
参考文献:蜀書後主伝 董允伝
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