黄皓の最期を振り返る!本当に蜀を滅亡に追い込んだのか?

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黄皓の最期を振り返る(1P目)


宦官・十常侍

宦官たち 

 

ここで少し宦官と十常侍について説明しましょう。

 

霊帝から益州統治を頼まれる劉焉

 

宦官は皇帝に仕えるために忠節の証として男性器を切り落とした存在です。もちろんこうなると子供が残せません。が、一部の宦官たちは養子を取ることが認められていました。

 

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

しかしこの養子縁組が肝となり、容姿やその親族を増やして地方の権力者となり、皇帝の名を借りた略奪、暴行が行われたために皇帝の人気はだだ下がり、漢室の権威もだだ下がり。果てには黄巾の乱(こうきんのらん
)
が起こる原因となってしまったのです。


宦官排除

宦官を倒す袁紹

 

黄巾の乱が鎮圧されるために数々の武将たちが集まりますが、この際に何進(かしん)袁紹(えんしょう)といった人物たちが宦官(かんがん)、主に十常侍を排除するべく行動開始。

董卓

 

殆どの宦官たちが排除され、この時に霊帝(れいてい)の子を連れて逃げていた張讓(ちょう じょう
)
趙忠(ちょう ちゅう
)
は偶然通りがかった董卓(とうたくによって……恐らく殺され、遺児(いじ)たちは董卓が保護することとなりました。

 

宦官

 

この後、十常侍の件からか宦官の政治参入には制限が設けられることとなりました。ただし宦官という存在は皇帝からすると便利な存在であったのか、(しん)の時代になると再び宦官という存在が政治を掌握するようにもなってきたと言います。こう見ていると黄晧の存在は三国志の象徴とも言え、宦官という存在が三国志に大きく影響を与えていた陰の存在とも考えられますね。


ちょっと雰囲気を変えて

十常侍(宦官)

 

さてもの悲しい話になりそうですので最後に小話を。十常侍と言えば十人と思われるでしょう。確かに三国志演義では十常侍は十人です。

 

しかしなんと正史三国志では張讓、趙忠、夏惲(か うん)段珪(だん けい
)
郭勝(かく しょう
)
孫璋(そん しょう)畢嵐(ひつ らん
)
栗嵩(りつ すう
)
高望(こう ぼう)張恭(ちょうきょう)(かん)カイ、宋典(そう てん
)
……つまり十常侍なのに十二人いる!?という謎の事態が。

 

これは十常侍の方が十二常時より語呂(ごろ)が良かったからでは、とも言われていますが、何だかクスッと来てしまいませんか?

十二人で十常侍、よろしくお願いします。


三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

黄皓の最期は歴史からは分かりません。しかし三国志のスタートは宦官という存在であり、最後もまた宦官。そう思うと繰り返してしまった歴史を感じさせます。

 

怪しい巫女のい占いを信じる黄皓

 

ただ黄晧の評価に関してちょっとフォローをすると、正史を書いた陳寿(ちんじゅ
)
は黄晧によって左遷(させん)されたのでその怨み補正もあるのかな……と思っています。ともあれ黄晧はやはりフォローしきれない悪人であることも思うと、歴史に名前が残される宦官にはあまり良いイメージがないのが悲しい所ですね。

 

参考文献:蜀書後主伝 董允伝

 

関連記事:黄皓の策謀!劉禅が占いを信じなければ蜀は滅亡しなかった!?

関連記事:劉禅に仕えた宦官黄皓のダチ友は誰だ?

 

【宦官の知られざる世界を一挙紹介】
宦官

 

 

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