高順が鎮圧した郝萌の反乱の真の首謀者は袁紹・張楊だった?

2020年7月17日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

「漢という言葉が似あう武将について読者の皆さんは、誰を思い浮かべますか?関羽(かんう)張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)夏侯惇かこうとん)呂布りょふ)・・・・・・たくさん想像されると思います。

 

高順が呂布に疎んじられた理由

 

私は呂布(りょふ)配下の高順(こうじゅん)を想像します。彼は主君である呂布に雑に扱われながらも、不満を述べずに最期は潔く武人らしく斬られていきます。

 

郝萌(かくぼう)

 

今回は高順が主人の呂布を守った郝萌(かくほう)の反乱について語ろうと思います。実はこの反乱には、ウラがあったのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



高順は董卓の残党か?

高順

 

まず高順について。高順は出身地不明であり、いつ呂布の配下になったのか分かっていません。亡くなった建安3年(198年)時点での官職名は「中郎将(ちゅうろうしょう
)
」であったことから、朝廷に仕えていた形跡があります。

 

高順と張遼

 

つまり、彼は董卓(とうたく)配下の残党と推測されます。董卓の死後、張遼(ちょうりょう)と一緒に呂布についてきたのでしょう。

 

丹陽兵の反乱

呂布と劉備

 

高順が史料で最初に登場するのは建安元年(196年)に呂布が劉備(りゅうび)から徐州を奪った時のことです。

 

張飛にボコボコにされる魏続(ぎぞく)と宋憲(そうけん)

 

正史『三国志』に注を付けた裴松之(はいしょうし)が持って来た『英雄記』という史料によると、劉備から徐州を任された張飛(ちょうひ)は同僚の曹豹(そうひょう)とケンカになり彼を殺害。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

元・陶謙(とうけん)配下の丹陽兵は呂布に城を奪うことを提案。誘われた呂布は、さっそくレッツ・ゴ―!こうして徐州城は、あっさりと陥落!城は呂布のものになりました。

 

郝萌の反乱

反乱を起こす郝萌(かくぼう)と曹性

 

ところがしばらくすると、城内で再び反乱が起きました。反乱の首謀者は河内出身の武将である郝萌でした。『三国志演義』では「八健将(はちけんしょう)」の序列3位ですが、史実では呂布配下の反乱者です。何が起きたのか分からなかった呂布は、軍装も整えずに妻を連れて便所から脱出。かけつけた高順は「呂布将軍、謀反人に何か特徴はありましたか?」と尋ねました。

 

曹性

 

呂布は「河内のなまりがあった」と答えます。郝萌と気付いた高順は突撃すると反乱軍を蹴散らしていきました。形成不利と感じた郝萌配下の曹性(そうせい)は裏切って、郝萌に一騎討を挑みました。

 

郝萌(かくぼう)と曹性をボコボコにする高順

 

「裏切ったな、この野郎!」とキレた郝萌は曹性を斬るも、曹性だって負けていません。郝萌の片腕を斬り落としてみせます。醜い争いをしているうちに高順は郝萌を討ちました。

 

不公平な恩賞

呂布

 

傷を負いながらも担ぎ込まれた曹性を呂布は尋問しました。曹性は郝萌が袁術の命令を受けたことを告白。

 

呂布はさらに、「計画を立てたのは誰と誰だ?」と聞きました。

 

曹操に対して不信感を抱く陳宮

 

曹性は「陳宮(ちんきゅう)です」と答えます。周囲の人は陳宮の顔色が真っ赤になっていたことから、間違いないと気付きます。だが、呂布は陳宮が呂布軍の大将であったことから不問にしました。

 

呂布

 

曹性は普段から呂布は「神の加護」があると言って郝萌を諫めていたが、郝萌はそれが分からずに反乱を起こしたと証言しています。媚びを売っているようにしか聞こえない。実に嘘くさい・・・・・・

 

高順が呂布に疎んじられた理由

 

呂布はそんな曹性が可愛かったのか、傷が治ると残った郝萌の軍の統率を任せました。一方、呂布を助けてあげた高順にはなんの恩賞もありませんでした。本当に世の中は理不尽です!

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

-三国志の雑学
-, , ,