皆さんは朱霊という歴戦の武将をご存知でしょうか。
朱霊は曹操・曹丕・曹叡の3代に仕えた歴戦の将であり、曹操の廟庭に祀られた功臣の一人です。そしてそんな朱霊を語る上で欠かせない存在が、路招!
今回は朱霊とこの路招について、色々とお話したいと思います。
朱霊、曹操を見出す
まずは朱霊について話しましょう。朱霊は元々は袁紹の配下でした。曹操による徐州の陶謙討伐時、袁紹は朱霊を曹操の救援に派遣しました。この際に朱霊は戦功を立てましたが、同時に曹操の器量に惚れ込むこととなります。他の将たちが袁紹の元に帰還する中で朱霊は曹操の下に留まり、家臣となりました。
朱霊の活躍
205年頃に曹操は冀州平定をします。この際に朱霊は冀州兵5000と騎馬1000を委ね、許都の南を守る任務に就きます。曹操は冀州兵について事前に朱霊に忠告していたものの、謀反にあいます。
朱霊は直ちに謀反人を斬り曹操に謝罪しますが、曹操はその罪を問いませんでした。その後、于禁や張遼らと共に章陵太守・都督護軍となった趙儼に統括され、馬超討伐に参加したり、夏侯淵の配下となって南軍の群雄を撃破して降伏させる、張コウと共に張魯討伐に参加するなど、活躍をしています。
息子たちにも評価された
その後、曹操は亡くなります。そしてその息子である曹丕が文帝として即位すると、以前の功績を評価されました。
曹丕からは「その威光は周の宣王の賢臣方叔・邵虎より上であり、功績は周勃・灌嬰よりも上である」と絶賛され、望みの地を与えるなど厚遇されています。更に後の曹芳の代になると功臣として祀られました。
そんな朱霊の相棒、路招!
そしてそんな朱霊の相棒と言っても良いのが路招!
彼はとてつもなく影が薄いのですが、その経歴を見ていくと殆ど朱霊と行動を共にしています。そんな路招、もう朱霊の相棒と言っても良いのでは?過言ではないのでは?
ということで路招について、話したいと思います!
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