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この記事の目次
どうして呂布は義理堅くないのか?
さて、どうして呂布は義理堅くないのでしょうか?
そういう性格だからと言えばそれまでですが、原因の1つとして呂布は、遊牧民の中で生まれ育ち、弱肉強食の掟の中で育ったので、強さこそが全てで義理という価値観とは無縁だった説があります。
もう1つは、自分の武勇に己惚れていて、どんな不義理をしても俺の戦の才能を買ってくれる奴はいるだろうと高を括っていたとも言われます。実際に呂布は曹操に捕まった時に、
「俺の騎兵と曹操の歩兵があれば天下統一は、なったも同然」とうそぶいて、臆面もなく自分を売り込んだと言われていています。
しかし、曹操の側にいた劉備が、呂布が丁原を殺し董卓を殺した恩知らずだと指摘したので、曹操は気が変わり呂布を処刑しました。
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いい所もある呂布
物欲に弱く自惚れ屋という嫌な面が目立つ呂布ですが、彼にはいい所もあります。例えば、董卓を暗殺して王允と長安を共同統治した呂布ですが、王允は董卓の部下を厳しく処罰する方針を取ったので、董卓の部下の李傕や郭汜が、やられる前にやれ!と開き直り、長安まで攻め上ります。
呂布は、李傕や郭汜の軍勢に敗れますが、そのままスタコラ逃げるのではなく王允に共に逃げようと声を掛けています。しかし、王允は幼い皇帝を置いて1人で逃げられないと救助を拒否しました。
さらに、呂布が徐州を劉備から奪った後ですが、袁術が劉備を攻めて劉備が絶対絶命になると、劉備を殺すのは後々マズいと考え、自ら袁術軍の武将の紀霊に兵を引き上げるように命じて実現させています。このように、物欲大魔王で自惚れ屋ながら、決して極悪非道なだけではないのが呂布のいい所で、強さも併せてそれなりのファンを獲得しているのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
今回は呂布がどうして、嫌われ者董卓の部下になっているのか?その理由を解説しました。呂布は物欲に弱く、董卓に名馬の赤兎馬を与えられると、すぐに上司の丁原を斬って董卓に寝返る寝返り大魔王だったのです。
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