【新解釈・三國志】なぜ呂布は嫌われモノ董卓の部下なの?


 

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貂蝉を奪い合う董卓と呂布

 

12月11日から上映されている『新解釈・三國志』映画を見た人の中には、三国志について、全く知識がない初心者の方もいて、映画を見る中で様々な疑問が浮かんだそうです。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

そこで今回は、なぜ呂布(りょふ)は嫌われ者董卓(とうたく)の部下になっているのか?

こちらのもっともな疑問について回答いたします。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呂布が嫌われ董卓の部下であるズバリな理由

赤兎馬を可愛がる董卓

 

極悪大魔王で、全ての人々に嫌われている董卓に呂布が仕えている理由、それは董卓によって天下一の名馬、赤兎馬(せきとば)を与えられたからです。

 

赤兎馬と呂布

 

呂布は、元々が騎兵なので馬に目が無く、そこに董卓が

 

「天下一の名馬である赤兎馬をプレゼントするから俺の部下になって」と勧誘したので、あっさりOKしました。おまけに、ここで呂布は自分を田舎から引き立ててくれた恩人の丁原(ていげん)を、董卓の命令であっけなく殺害しています。

 

呂布に殺害される丁原(ていげん)

 

なので、呂布が嫌われ者の董卓に仕えている理由は、赤兎馬に目がくらんで買収されたからです。

 

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物欲に弱すぎる呂布

桃園三兄弟 劉備、張飛、関羽 vs 呂布

 

呂布は三国志演義において、すべての登場人物の中で最強とされています。身長は1丈(いちじょう)(3m)で赤兎馬に跨ると無敵の強さで、1人で数万の敵兵を蹴散らし、1人で万人と戦えると言われた劉備(りゅうび)の義兄弟、張飛(ちょうひ)関羽(かんう)を1人で相手にしても余裕がありました。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

最期に劉備が飛び出してきて、3対1となると分が悪くなり虎牢関(ころうかん)に逃げてしまいますが、とにかく1対1で呂布に勝てるような豪傑は、三国志演義にはいません。

 

呂布と袁術

 

ただし、呂布は義理堅さとは無縁な性格で、とても欲望に弱い性格をしていて、今の待遇より、少しでも有利な条件を提示されると、それまで仕えていた人間をあっさり裏切り、寝返ってしまうのです。

 

呂布

 

史実では貂蝉関係なく董卓を裏切る

新解釈・三國志 貂蝉が挑発的に踊る

 

『新解釈・三國志』では、趙雲がスカウトしてきた絶世の美女貂蝉(ちょうせん)を巡り、董卓と争い、最期には董卓を殺害してしまう呂布ですが、史実では貂蝉という美女は出てきません。

 

王允と呂布

 

史実によると、呂布は横暴な董卓の態度に愛想を尽かし、また董卓に仕える侍女(じじょ)に呂布が手を出し、それが董卓にバレる事を恐れていたそうです。

 

王允

 

その噂を聞きつけた王允という人物が、董卓暗殺を持ち掛けます。ここで呂布は、董卓と自分は義理の父子の関係だからと躊躇しますが、結局は王允に口説き落とされて暗殺に加担しました。

呂布に暗殺される董卓

 

董卓を殺害した呂布は、奮武将軍、準大臣に任じられ温県という都市を貰い温侯となり王允と共同で長安を治めるようになります。これは董卓の番犬をしている頃よりも遥かに好待遇であり、王允は好待遇で呂布を釣って物欲に弱い性格を利用したと言えそうです。

 

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人の国まで盗る呆れた呂布

曹操と呂布

 

呂布の物欲は品物だけにとどまりません。呂布は、曹操(そうそう)が徐州遠征している隙をついて、陳宮(ちんきゅう)の手引きで兗州を乗っ取っています。結局、兗州は曹操と奪い合いをした末に取り返され、行き場がない呂布は徐州を支配していた劉備の世話になります。

 

劉備と呂布

 

ところが、ここでも劉備が袁術(えんじゅつ)と抗争をしている隙を突いて、徐州を乗っ取ってしまいます。劉備は徐州を奪い返せずに悔し泣きをしながら曹操を頼って逃げていきました。呂布は、その後も徐州を支配し続けますが、199年に南下してきた曹操に敗れて処刑されました。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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