皇帝の廃位は、それが中央集権制であれ封建制であれ特筆に値する大事件です。もちろん、そんな事件が起きれば未遂でも歴史に記録されずにはおかないと思うのですが、意外にも堂々と廃位が計画されながら、あまり記録が残っていないケースもありました。
それが、合肥侯擁立事件というクーデター未遂事件です。今回はクーデターの首謀者となった王芬について解説しましょう。
この記事の目次
霊帝廃位を目論んだ王芬
王芬は後漢末の霊帝時代の冀州刺史でした。刺史は元々領内を回り役人の不正を調べる監察官でしたが、時代と共に権限が拡大・強化され、後漢の末には太守と変わらない存在になっていました。地方官としては最高のポストであり、ここから河南尹、京兆尹のポストを経て、九卿という中央ポストに配属されていく事になります。
しかし、このように恵まれた地位にいた王芬はどうして霊帝を廃位して合肥侯を擁立するリスクの高いクーデターに踏み込んだのでしょうか?
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党錮の残党による宦官皆殺し
その理由は、このクーデター計画に加担した人間を見てみると見えてきます。
司馬彪の九州春秋によると、合肥侯擁立クーデターには、党錮の禁で宦官に処刑された清流派名士陳蕃の子陳逸が名前を連ね、同じく恒帝の時代に宦官の専横を批判し更迭された方術士襄楷も入っていました。
この謀議の席で襄楷は得意の天文を披露し「天文は宦者に不利で、黄門・常侍ら貴人は滅びましょう」と告げます。それを聞いた陳逸は喜び、王芬は「出来れば駆除したいものだ」と答えました。
合肥侯擁立クーデターは霊帝排除がメインではなく、霊帝を操り党錮の禁を引き起こして清流派官僚を投獄・殺害した宦官を皆殺しにする目的で計画されたものだったのです。
またこの計画には、沛国の豪族周旌、そして後に官渡の戦いで曹操に投降し曹操軍を勝利に導いた許攸も参加していました。
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曹操や華歆、陶丘洪も誘われる
合肥侯擁立クーデターには、曹操や華歆、陶丘洪も誘いを受けていたようです。しかし、曹操はクーデターの誘いを拒絶しました。
この頃の曹操は、済南の相として汚職官僚の8割を首にして、邪教の祠を破壊し広く庶民に慕われる善政を敷いていましたが、讒言されて栄転という形で東郡太守に任命されました。
この栄転で改革の限界を感じた曹操は、辞令を受けず病と称して故郷に引き籠っています。曹操は大宦官曹騰の孫でしたが、その清廉な政治ぶりから王芬に見込まれ、沛国の豪族周旌を通じて誘いがあったのかも知れません。
ただ、曹操は「クーデターなんて怪しからん」と考えていたわけではありません。自分も宦官に足を引っ張られ栄転の形で左遷を食らった曹操は、宦官の言いなり過ぎる霊帝をチェンジ!と考えていましたが、王芬のクーデターが杜撰すぎて失敗すると見抜き、拒否したのです。
また曹操以外にも、華歆、陶丘洪が誘われ、陶丘洪は乗り気でしたが華歆は必ずクーデターは失敗し、一族は皆殺しにされると引き留めたので参加を取りやめました。
異常気象でクーデター失敗
王芬のグループが練ったクーデターの計画は以下のものでした。
・霊帝が故郷である河間への巡幸に旅立つのを狙い、当時、暴れ回っていた黒山賊の討伐を願い出て、朝廷の兵力を借り受ける。
・霊帝が巡幸に出発して洛陽が空になった時を狙い、合肥侯を擁立して兵力を率いて洛陽に入城して霊帝の廃位を皇太后に迫り、合肥侯を皇帝に即位させる。
・皇帝の勅命で宦官を皆殺し、党錮の恨みを晴らす
計画は途中まで順調に進み、王芬は朝廷の兵を持って霊帝の巡幸を待っていましたが、霊帝が洛陽を出た途端に、赤い光が天を東西に分ける凶事が発生し史官の進言で巡幸が中止。王芬の黒山賊討伐も中止になり、兵力が回収されてしまいました。
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王芬が証拠を隠滅して自殺
間もなく洛陽より王芬に上京するように命令が出ました。タイミング的にクーデターがバレたと考えた王芬は、全ての証拠を隠滅し自殺してしまいます。ところがクーデターは洛陽には伝わっていなかったようです。
その証拠には、クーデターに参加した陳逸や周旌、襄楷はその後逮捕される事も投獄される事も無かったからです。
許攸に関しては危険を感じ友達の袁紹を頼り、その配下になりますが、もしクーデターが発覚していれば、いかに袁紹でも許攸を庇い切る事は出来なかったでしょう。
こうしてみると王芬がクーデターがバレたと勘違いして、証拠隠滅に徹して自殺した事で、計画に関与した人々の命が図らずも守られたのかも知れません。
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