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その気風
関羽は三国志の著者、陳寿においてこのように評価されています。
「関羽は一人で万の兵に匹敵すると賞賛され、当世における勇猛な家臣であり、国士の気風をもっていた。しかしその一方で剛情で自信を持ち過ぎており、それによって身を滅ぼした」
特に三国志演義では義に満ちた人物と言われる関羽ですが、名士を軽んじたり、黄忠と同格になった際には「あんな老人と一緒にするな!」と怒ったりと、やや傲慢とも言える性格が見られるのも特徴です。
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関羽の欠点
そしてその関羽の性格、欠点が如実に表れてしまったのが荊州統治でしょう。関羽は糜芳たちを軽んじ、孫権からの婚姻の打診を無礼な態度で拒否しています。はっきり言ってしまうとこれはかなりの失態です。
そもそもの魏、呉、蜀の関係として、呉と蜀は手を組まないと魏を相手にするのは難しいほど魏は力を付けていました。
その手を組まなければならない相手に対しての態度ではなく、その態度から樊城を始まりとした敗北から関羽は命を落とし、蜀は荊州という最大の要を失い、果てに劉備の夷陵の戦いを招くことになりました。
全てが全て関羽のせいではありませんが、事ここに至るまでの関羽の失態が一切ないとは言えないでしょう。
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関羽の評価
さてここまでまとめると「文武両道だけど性格に難があった」というのが筆者の関羽の評価のまとめでしょうか。しかし筆者は関羽のことが嫌いな訳ではありません。
荊州統治にしても関羽の失態ですが、同時にこれは蜀という国自体のどうしようもない欠点だとも思っています。荊州統治は難しい局面でありながら、関羽の補佐を完ぺきにこなせるだけの人間を送ることもできていないから起こったと思っています。
つまり人材の致命的な不足です。もしかしたら関羽自身もそれを分かっていて、気負い過ぎた所もあったのかもしれません。関羽の失態もあったけれど、それだけで関羽の全てを否定できるような要素ではありません。むしろこの荊州統治の失敗こそが、個人的には関羽の魅力だと思っています。
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「あばたもえくぼ」
どんな人間でも、欠点はあります。文武に優れ、忠義に溢れた関羽であっても、欠点はありました。しかしそれは同時に関羽が人であった証であり、魅力だと思います。
完璧な人がミスをすると、何だか親近感を抱くような……関羽の荊州統治は失態でもありますが、同時に関羽という人物に「深み」を与えている出来事だと思います。
人材不足を理解していた、武人という生き方が身につきすぎ、魏や呉に対して侮られてはならないと気負い過ぎていた……三国鼎立ではなく、劉備一人の天下をただひたすらに追い求めていた。
そう考えると、欠点すら魅力に見えてきませんか?
だからこそ関羽はその死後、神にまでなったのではないかと、そう思うのです。
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三国志ライター センのひとりごと
確かに関羽は三国志演義でその活躍が誇張されています。三国志演義から三国志を見ると、何だか苦々しく感じることもあるでしょう。
しかし正史の記録をみても、十分素晴らしい活躍をした武人です。
関羽だけに留まらず、色々な武将たちを色々な角度から見つつ、そして長所短所も清濁併せ呑んでみていかなければならないな……と思いつつ、より深い三国志沼にハマる筆者でした。とぷん。
参考文献:蜀書関羽伝 費詩伝
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