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この記事の目次
姜維、夏侯覇を褒め称える
姜維は当初、夏侯覇の言動に猜疑心を持っていましたが、降伏の恥辱に耐えながら、それでも主家を乗っ取ろうとする司馬父子を許す事が出来ぬと涙ながらに語る夏侯覇の言葉に嘘はないと信じます。
姜維「元をただせばそれがしも、魏の禄を食んでいた身でござる。しかし万やむを得ない窮地に至り、今は亡き丞相の知遇を受け現在があるのです。
古の微子は、弟の紂王の無道を何度も諫めたが聞き入れられず、いざ周と殷が戦うとなった時、殷人として国に一命を捧げるか、殷王室の血を後世に繋ぐか迷い、血筋を残す事を決断して殷を去り、紂王の死後に周の武王に降伏し一国に封じられました。
貴公が司馬父子を討ち、漢の天下を復興させようというのであれば、その志は微子と同じであり、何ら恥じる所は御座いません」
夏侯覇は、姜維の言葉に深く感謝し、一命を漢の復興に捧げる事を誓いました。
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姜維、夏侯覇を歓迎し酒宴を開く
さて、正式に仲間になった夏侯覇を歓迎して、漢中で宴が開かれました。ある程度、酒が回ると姜維も夏侯覇もすっかり打ち解けます。
姜維「仲権(夏侯覇の字)殿。司馬懿父子は、現在、国政を壟断しているわけであるが、どうであろうか?
我が国を攻める企てでも立てておるのであろうか?」
姜維が尋ねると、酒が入り鬱憤がぶり返した夏侯覇が答えます。
夏侯覇「ふん!逆賊どもは、やっと一家の基が出来て、しばらくは内政に手一杯!とても他国に攻め込む暇などござらんよーひっく…」
姜維「そうか、それは安堵した」
姜維が安心して一息つくと、夏侯覇は思い出したように上体を起こしました。
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鍾会と鄧艾
夏侯覇「されど!逆賊どもに暇がなくとも、最近、魏には若い二将が台頭してござる。やがて、この二将が軍勢を率いる事になれば、蜀も呉もうかうかとはしておれませぬぞ」
姜維「なんと…その二将とは、いかなる者たちでござる?」
夏侯覇「1人は鍾会、字を士季と言い、魏の太傅、鍾繇の末子にござる。幼き頃より勇気も知恵もあり、文帝はその機転を褒め称え、蔣済も幼き鍾会を一目見るなり、常人にあらずと手放しで評価しております。司馬懿めも鍾会と議論して、帝王を補佐する才があると言いました。今は秘書郎ですが、ほどなく帷幄の臣となりましょう。
もう1人は、司馬懿めの属官で鄧艾、字を士戴と申す男です。家貧しく幼くして父を失い、屯田民をしておりましたが、大志を抱き高山、大沢を見ては、かしこに陣を取り、かしこに兵糧を貯え、かしこに伏兵し、かしこから出撃するなどと、戦ごっこに、うつつを抜かし皆に笑いものにされ申した。
しかし、1人司馬懿はその才能を認め、己の属官として起用してござる。
鄧艾めは、生まれつきの吃音で、口下手ではござるが、その機転は司馬懿めも舌を巻くほどであるとか、伯約殿、戦場でこの2名の名を聴いたら気をつけられよ」
しかし、姜維は夏侯覇の真剣な話を笑い飛ばします。
「仲権殿が真面目な顔をされて話すゆえ、なにものであろうかと思えば、まだ、戦場で手柄も上げていない若僧2人ではありませぬか?それは取り越し苦労というものでござろう」
ですが、夏侯覇は再び真顔になり釘を刺しました。
「伯約殿、それがしは武人でござる…いかに酔ったからとて、虎と猫を取り違えるような愚はおかさぬこれは真心からの忠告でござる、どうかお忘れなきよう」
姜維は、その時、一抹の胸騒ぎを覚えました。鍾会と鄧艾この2人こそ、後に蜀を滅亡においやる姜維の宿敵だったのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
高平陵の変により司馬懿に追われた夏侯覇は、蜀に投降し、姜維の右腕として活躍する事になりますが、三国志演義では夏侯覇の口から姜維の最大のライバルである艾や鍾会の存在が知らされます。
まだ、若僧だと嘲笑う姜維ですが、やがて、この2人に色々な意味で運命を狂わされるとは、この時は知る由もありませんでした。
さて、次回はいかなるお話になるのでしょうか?
完訳三国志演義140話、今日はこの辺りでお開きです。
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