「三国志」の時代には多くの英雄が戦いを繰り広げましたが、その頃「日本」はどのような状態だったのでしょうか?
実は正史「三国志」の中に少しだけ「倭国」(後の日本と思われる)の記述があるのです。そこには「邪馬台国という国があり、そこは卑弥呼と呼ばれる女性が治めていた。」と書かれています。
今回の記事ではそんな「卑弥呼」と「三国志」特に「魏」との関係を見てみましょう。
この記事の目次
「三国志」の何処に倭国の記事がある?
正史「三国志」は「紀伝体」と言われる「伝記」(例、魏志武帝紀)の集合した文書ですが、「倭国」についての「伝」が存在するわけではありません。
「魏志」の中の「烏丸鮮卑東夷伝」の中に「倭人」の記載があり、日本では通称「魏志倭人伝」と言われています。「烏丸鮮卑東夷伝」は中国の東方に住んでいる漢民族以外の民族(今の朝鮮半島など)について書かれています。
そこには約2000字ほどで当時の日本に存在したと言われる「邪馬台国」や女王「卑弥呼」、そして人々の風俗や生活について、そして「魏」に使者を派遣したことが書かれているのです。このころの日本の歴史を示す資料は他にほぼなく、「魏志倭人伝」(以下“倭人伝”)は貴重な証言となっています。
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「邪馬台国」とは?卑弥呼とは?
そもそも「邪馬台国」の読み方も良くわかっておらず「やまたいこく」か「やまとこく」と読むのか論争になっています。「倭人伝」には「邪馬台国」へ至るルートも書かれていますが、文章の解釈によってその場所も様々です。
当時の「倭国」には「邪馬台国」という大きな国があり、それに属さない国も存在しました。倭国では大乱がおき、男王の下では混乱が続いていましたが「卑弥呼」と呼ばれる女王を擁立し、ようやく混乱は収まったといいます。
卑弥呼は「鬼道」(なんなのか不明)を用いて人々を惑わせ、夫はなく、政治は弟が補佐していました。彼女には1000人以上の女性が仕え、居室にはただ一人の男性のみが入ることを許され、給仕や取次をしたといいます。
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卑弥呼と「魏」の関係
238年(翌年説あり)、卑弥呼は使者を「帯方郡」に派遣し、皇帝への謁見を願い出ます。「帯方郡」とは今のソウル付近にあった魏の出先機関です。そして帯方郡の太守は使者を皇帝のもとに送り、卑弥呼の使者は男女の生口(奴隷か?)といくつかの贈り物をしました。
当時の魏の皇帝は「曹操」の孫「曹叡」(翌年なら「曹芳」)で、彼は卑弥呼を「親魏倭王」に任じ、「銅鏡100枚」「金印」など莫大な返礼品を贈りました。240年には魏使者が倭国を訪れ、証書や印綬を与えています。
その後卑弥呼は243年、245年にも魏に使者を派遣しています。このころ邪馬台国は「狗奴国」といわれる国と争いがあり、そのことを247年に魏に報告しています。
それに対し、魏は「張政」という武官を和睦もしくは激励の為、邪馬台国に派遣しますが、何年か後に卑弥呼は死去。
男王が立ちますが、国は大いに乱れ、卑弥呼の親戚と言われる「臺與(台与、とよ、いよ、など諸説あり)」を擁立し、ようやく国は静まったといいます。その後臺與も何度か魏、その後継の「晋」に使者を派遣しています。
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なぜ卑弥呼は魏に使者を派遣し、魏はそれに応えたのか?
当時邪馬台国は狗奴国などと争いを繰り広げており、大国であった中国と親交を結ぶことにより、戦いを優位に立とうとしていたと考えられます。
魏では呉との戦いが続いていたため、当時呉の東方にあると考えられていた邪馬台国に援軍を期待していたのかもしれません。また、当時は異民族を軍隊に取り入れることが多かったため、呉と邪馬台国が組まないように気にしていた、とも考えらえます。
その後の魏と邪馬台国
魏は265年に司馬炎に皇帝を禅譲し、滅亡します。翌年に卑弥呼の後を継いだ臺與が使者を送っています(晋書より)。しかし、その後は中国の史書に邪馬台国や倭国についての記述は消え、その頃日本がどうなっていたのかはわかっていません。
また、日本側にも邪馬台国や卑弥呼の記述はありませんが、「日本書紀」の「神功皇后」の章に「魏書によれば倭国の女王が魏に使者を送った」という記述があり、おそらく「日本書紀」の著者は「倭人伝」を読んでいたと考えられますが、神功皇后と卑弥呼そして臺與との関係は不明です。
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三国志ライターみうらの独り言
魏と卑弥呼の関係は「古代のロマン」そのもので分からない事が多いのが面白いですね。「三国志」と日本は無関係だと思われがちですが、きっちりと登場しているのも感慨深いです。
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日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門」