鄧艾の名誉回復(ぶっちゃけ)
段灼は名誉回復の弁護を行ったのです。この上奏文、中々面白いのでちょっと冒頭部分をご紹介しましょう。
「鄧艾殿は強情で物事を急ぎすぎるきらいがあった上に、上の人物も下の人物も彼の態度で気分を害することが多く、これによって彼が窮地に陥った時に誰も弁護をしてくれなかったのです!」
この後にちゃんと謀反人となってしまった鄧艾の弁護もしてくれるのですが、何が面白いってこの段灼、鄧艾の元部下でした。つまり「鄧艾の態度で気分を害することが多く、窮地に陥った時に弁護をしなかった」人物の一人でもあるのですよね……
何だかんだ真っ先に元上司の性格の問題点を指摘している……ストレスがあったのかな……?そんなことを思わせる一幕ですね。
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ともあれ
ともあれこれにて鄧艾の名誉回復はなりました。
功労者が一転して謀反人、そこにはやや尊大過ぎた性格が関係していた……という経歴を見ていると、何だか蜀の魏延を思い出します。
しかし最期の最期で反逆者で終わった魏延と、後々で弁護された鄧艾の違いは大きかったのでしょう。
鄧艾は後に中国史上六十四名将に、魏では張遼と共に選ばれています。
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三国志ライター センのひとりごと
また鄧艾は失脚するまでを見ていると、どこか関羽も思い起こす人物です。鄧艾の独断専行については、鍾会の評価も相まって中々評価がし辛いところでもありますね。ただ後に言われているように、鄧艾もまたその性格にやや難があったことは確かでしょう。
そして同時に、蜀平定などの数々の功績を立てたことも間違いではありません。どうしても鄧艾というと蜀平定が目立ってしまってそこにばかり注目してしまいますが、それ以降の経歴、死後も含めて中々面白いところがあるので今回ご紹介させて頂きました。
今後も色々触れていきたい武将の一人です……と、本日も三国志沼からお届けしました。
ちゃぽん。
参考文献:魏書鄧艾伝 晋書列伝 段灼伝