姜維は実力はあるが性格に難ありだった?人望なし?

2021年10月29日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張翼の警告を無視する姜維!

張翼

 

同じ蜀の将軍である「張翼(ちょうよく)」は北伐に反対していました。しかし、姜維は全く聞き入れず、北伐を決行。成果を上げますが、張翼は「追撃すべきでない」と警告。またしても姜維は聞き入れず追撃し、結局大敗してしまいます。

 

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譙周から警告で孤立

譙周(しょうしゅう)

 

北伐は蜀の国力を疲弊させていきました。文官である譙周(しょうしゅう)は姜維をいさめるため、「仇国論(きゅうこくろん)」という書物まで書いて警告をしました。これは数少ない北伐推進派である「陳祗(ちんし)」との討論を基に書かれたものでした。その陳祗も亡くなってしまい、いよいよ姜維は孤立します。

 

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蜀漢の滅亡

 

 

 

宮廷とも対立し、結局蜀は滅びる

姜維の地位を落とす文官

 

姜維は宮廷ともあまりうまくいかず、当時権力を握っていた宦官によって将軍の座を追われる可能性がありました。その為、姜維は成都(蜀の首都)に戻ることが出来なくなります。

 

剣閣で守りを固める姜維

 

姜維をかばうものも宮廷にはなく、姜維は剣閣(けんかく)で防衛の任に当たることになります。そこに魏軍が襲来。

 

降参する姜維

 

姜維は抵抗しますが、最終的に蜀は降伏し、姜維も魏へ降伏することになります。

 

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姜維特集

 

 

似たような性格の鍾会と意気投合するが

自分を気に入る鍾会を蜀の復活に利用できると考える姜維

 

魏への降伏後、姜維は「鍾会(しょうかい)」と交友を深めます。鍾会も自信満々で己の功績を誇り、大きな野望をもつ人物でした。姜維と鍾会は似たような性格であり、惹かれあうものがあったのかも知れません。

 

鍾会を独立するようそそのかす姜維

 

そして姜維は鍾会をそそのかし、魏から独立するように促します。姜維の計画ではのちに鍾会も殺し、軍を乗っ取る計画でした。

 

デマを信じた兵士に鍾会・姜維が襲われ、助かる胡烈

 

しかし、計画は事前にもれ、鍾会と姜維は殺されてしまいます。

 

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鍾会特集

 

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

これらからわかるように姜維はとにかく「自信満々」な性格だったと考えられますね。自信満々は非難されることではありませんが、仕事を成就させるには周囲の協力が不可欠です。姜維は周りを惹きつけるような性格では無かったようですね。

 

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鍾会の乱

 

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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