「三国志」に登場する伝説の馬といえば、呂布の愛馬であり、その後関羽のもとに渡った赤兎馬が有名でしょう。
そんな伝説的な名馬である赤兎馬ですが、同じく名馬として名高い汗血馬と関係があるのではないか、と考える向きもあります。そこで今回は、赤兎馬と汗血馬について、果たして関係があったのか、探っていきたいと思います。
赤兎馬とはどんな馬?
赤兎馬とは「正史三国志」「三国志演義」に登場する名馬です。「正史三国志」では赤兎馬に関する記述はわずかですので、ここでは「三国志演義」での赤兎馬についてまず見ていきたいと思います。
「三国志演義」によれば、赤兎馬は一日に千里を走る名馬であり、元々は董卓の馬でしたが、董卓は丁原の部下である呂布を引き抜くため、赤兎馬を呂布に贈って気を引きます。
果たして呂布は丁原を殺して董卓に帰参し、赤兎馬は呂布の相棒となりました。
その後、呂布を曹操が滅ぼすと曹操の手に渡り、曹操は降伏した関羽の心をつかむべく関羽に赤兎馬を贈りますが、最後まで関羽の心は義兄・劉備のもとにあり、曹操は赤兎馬をもってしても関羽の忠誠を勝ち取ることはできませんでした。
関羽が呉の呂蒙に敗れて敗死した後、赤兎馬は呉の馬忠に捕らえられますが、間もなく食を断って自ら亡くなったと言われています。
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汗血馬とはどんな馬?
では、汗血馬とはどのような馬だったのでしょうか。汗血馬は前漢の武帝の時代に登場した名馬です。
当時、遊牧民の匈奴と戦っていた武帝は優れた馬を求めていました。
西域への十数年に渡る大旅行を行った張騫から、漢からはるか西方の大宛(フェルガナ)という国に「血のような汗を流し、一日千里を走る」という駿馬がいる、との情報を聞いた武帝は、その「汗血馬」を渇望し、ついには大軍を派遣して大宛を攻め、3000頭の汗血馬を手に入れたのでした。以上が、前漢の「汗血馬」の話でした。
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赤兎馬と汗血馬の共通点
以上の記述を見た時、赤兎馬と汗血馬には2つの共通点があります。まず一つは、「赤い色」という要素、もう一つが「西方からやってきた」という点です。
まず、「赤い色」という点ですが、赤兎馬はその名の通り赤い毛色をした馬ですが、汗血馬も「血のような汗を流す」という記述を信じるならば、赤い血のような汗を流しながら走るということで、汗血馬の毛も「赤い汗」で赤く染まっていたはずです。
このように、共に赤い色をした馬ということで、両者は共通しています。
また、赤兎馬も汗血馬も、「西方からやってきた」馬です。漢の遥か西方、中央アジアに位置する大宛(フェルガナ)からやってきた汗血馬はもちろんのこと、赤兎馬についても、最初に赤兎馬を所有していたのが董卓だということは注目に値します。
董卓は都で政権を握る前は、長年西域に駐屯して羌族との戦いを続けていた武将です。そうした董卓の経歴を考えれば、赤兎馬を董卓が手に入れたのも西域でのことであったと考えるのが自然でしょう。従って、赤兎馬もまた、西方からやってきた馬ということになります。
こうしてみると、赤兎馬と汗血馬にはいくつか共通点があります。とはいえ、「汗血馬」という名称が前漢時代以降には見られなくなっている以上、赤兎馬と汗血馬が同一の存在であるという決定的な根拠がないのが現状です。
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現代の「汗血馬」の姿
一方、武帝の時代から2000年以上が経った現代の中国で「汗血馬」と称されている馬がいます。それが中央アジア原産の「アハルテケ」という馬です。この馬は、「幻の馬」「黄金の馬」と呼ばれた、現在ではトルクメニスタンを中心に全世界で育成されている貴重な馬です。
アハルテケの姿を見ると、耳が非常に長いのが特徴です。「赤兎馬」の意味を「兎のような赤い馬」と解釈すれば、ウサギのように耳が長いアハルテケはまさにその特徴に合致するのではないでしょうか。また、アハルテケはその金色の毛色ゆえに、寄生虫に吸血された際の出血が目立ちやすく、その姿はまるで血の汗を流しているように見えるとのことです。こうしてみると、長い耳を持ち、金色の毛に血が滲んだアハルテケの姿が、血のような汗を流す汗血馬、そして「兎のような馬」である赤兎馬の姿と重なってくるような気がしてきませんか?
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。
本文でも述べたように、赤兎馬と汗血馬が同じ馬であることを示す明確な根拠はありません。しかし、現代において「汗血馬」と呼ばれているアハルテケの特徴と赤兎馬の類似点や、「西方からやってきた」という共通点を考えれば、この記事をまとめた筆者個人としては、赤兎馬と汗血馬には少なくとも何らかの関係はあったのではないか、と思っています。
皆さんはいかがでしょうか?
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