「三国志」の中に登場する名馬中の名馬、赤兎馬。赤兎馬は、三国志ファンでその名を知らぬ者はいないほどの馬ですが、それがどういう馬であったのかについてはよくわかっていません。
そこで今回は、赤兎馬が実は、「幻の馬」として名高い中央アジアの駿馬・アハルテケだったのではないか、という説について検証してみたいと思います。
「三国志」における赤兎馬の記述
呂布の相棒として有名な赤兎馬は、「正史三国志」と「三国志演義」の双方に登場します。「正史」の赤兎馬の記述はあっさりしており、呂布が赤兎馬という駿馬に乗って活躍したという記述しかありません。
一方、「三国志演義」の赤兎馬についての記述は充実しています。赤兎馬は「一日千里を駆ける」とまでいわれた希代の名馬であり、元々は董卓が所有していましたが、董卓が赤兎馬を餌に呂布を勧誘し、これに乗った呂布は養父の丁原を暗殺して董卓の部下となります。
その後は呂布の乗馬として活躍しますが、呂布が曹操に滅ぼされた後には、曹操から関羽に贈られ、以降関羽の愛馬として数々の戦いを戦い抜き、最後は関羽の後を追うように亡くなったと言われています。
これを見ると、残念ながら赤兎馬の姿かたちに関する特徴はあまり記述として残っていないように思います。これでは、赤兎馬が果たしてアハルテケであったのか検証するのは難しくなってしまいます。そこで、今回の記事では赤兎馬の「赤兎」という名前に注目してみたいと思います。
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赤兎馬の毛並みとアハルテケ
赤兎馬の「赤兎」という名が、赤っぽい毛並みと兎のような姿を意味しているとすれば、どうでしょうか?
中央アジアの名馬として名高いアハルテケは別名「黄金の馬」と呼ばれることもあり、その毛並みはまるで黄金のように光り輝くと言われています。しかし、アハルテケの全ての個体が金色の毛並みをしているわけではなく、アハルテケのうち、「月毛」「河原毛」と呼ばれる、ごく一部の特別な毛並みの馬のみが金色に輝く毛並みをしているのです。
馬は様々な毛色が発現することで知られているのですが、その中でも特に赤っぽい毛色が、馬の中でも非常に一般的な「鹿毛」といわれる毛並みです。鹿毛は鹿に似た茶褐色の毛並みですが、個体によってはその毛並みが赤褐色に見える個体もいます。もちろん、アハルテケにも鹿毛は発現することが知られており、中には赤褐色の毛並みのアハルテケも存在します。
こう考えれば赤兎馬が、赤褐色がかった鹿毛のアハルテケであったという可能性も排除できないのではないでしょうか。
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赤兎馬の耳とアハルテケ
では、赤兎馬の「兎」とは何を意味しているのでしょうか。もしこれが「兎のような長い耳」を意味しているとすれば、それはなんと、アハルテケの特徴ときれいに符合するのです。アハルテケは長い耳が特徴であり、これは画像を見ても明らかでしょう。アハルテケのこうした長い耳は、まさに「兎」を想起させるものです。
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赤兎馬は西域からやってきた?
また、「三国志演義」によれば赤兎馬ははじめ、董卓の所有であったと言われています。
董卓は元々西方の涼州・雍州を地盤としていた武将であり、西域の羌族との戦いで活躍した人物です。従って、董卓は西方の遊牧民とも関係を持っていた人物といえます。
董卓が赤兎馬を呂布に贈ったのは、大将軍何進の召集に応じて董卓や丁原らが洛陽に集結したタイミングですので、董卓が赤兎馬を入手したのはそれ以前ということになります。
西域と縁のある董卓が、西方に駐屯していた時代に手に入れた名馬ということから、赤兎馬は西域、つまり中央アジアからやってきた馬ということになります。
西域は名馬の産地として知られており、漢の武帝は「汗血馬」と呼ばれる「血の汗を流し、一日千里を走る」名馬を渇望し、西域の大宛国を攻めたほどです。また、中国では現代の「汗血馬」と呼ばれるアハルテケも、原産地は中央アジアのトルクメニスタンと言われています。
これまで述べてきた内容は、状況証拠でしかありませんが、以上の内容を踏まえるとやはり、西域からやってきた赤兎馬が中央アジア原産のアハルテケであることを排除する論拠はないように思えます。
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。赤兎馬に関しては、詳細な記述がないだけに、赤兎馬がどのような品種の馬であったのか特定するのは不可能でしょう。とはいえ、赤兎馬が中央アジアの「黄金の馬」ことアハルテケではないと決めつけることもできません。
赤兎馬は果たしてアハルテケであったのか、そうではなかったのか、読者の皆さんもこの記事を読んで、想像力を膨らませ、歴史のロマンを感じてみてはいかがでしょうか。
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