この記事の目次
でも結局、孫策は暗殺される?
孫策は諸葛亮を指揮官に何度も魏への北伐を繰りかえし、魏の長安まであと一歩と迫ります。
しかし、魏の司馬懿は予言しました。「孫策は敵が多すぎる、今度こそ無事ではないだろう。」
その予言の通り、孫策は荊州での視察の際、かつて殺した劉備の遺臣たち(趙雲ら)に襲われ、命を落としてしまいます。孫策は死の間際、息子の「孫紹」を後継者に指名しますが、孫策の死後、優秀な孫策の弟「孫権」を擁立しようとする勢力との内乱が発生します。
関連記事:もしも趙雲が劉備の配下じゃなかったら?if三国志を考察してみる
関連記事:もし趙雲が魏に仕えていたらどうなっていた?【ろひもと理穂if考察】
関連記事:もし荊州を趙雲に任せたらどうなったの?【ろひもと理穂if考察】
孫策の死後「三国志」がスタート?
その混乱に乗じて、劉備の遺臣たちは益州でクーデターを起こし、劉備の息子「劉禅」を探し当て、そして皇帝として担ぎ上げ、「蜀」として独立に成功します。
大軍を率い魏と対峙していた諸葛亮も劉備の意志を継ぐため、蜀に寝返り、南朝を呉の地域に追いやることに成功し、短い「南北朝時代」は終わり、ここから「三国志」がスタートするのです。あとは史実通りに進み、最終的には司馬家の「晋」が中国を統一するのです、と妄想してみました。
関連記事:【if三国志】もしも、劉備が皇帝に即位しなかったら?
関連記事:姜維の北伐は劉禅の意向でもあった?北伐と劉禅の統治を考える
三国志ライターみうらの独り言
歴史に「もし」は禁物だと昔からよく言われますが、妄想するのは楽しいものですよね。その妄想をかなえるために歴史シュミレーションゲームがあるのでしょう。小説「三国志演義」もそんな歴史の「もし」から生まれたのかもしれませんね。
関連記事:【if三国志】もしも、孫権が邪馬台国を発見していたら?