栗腹はどんな人?長平の敗北を突いて趙を攻め廉頗に殺されたしくじり宰相

2021年12月7日


 

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憤死する麋竺(モブ)

 

粟腹(りっぷく)は春秋戦国時代の末期に活躍した(えん)の宰相です。キングダムには一切登場しないのですが、なかなか狡猾(こうかつ)な人物で長平で大敗した趙に攻め込んで領地を得ようとしますが廉頗(れんぱ)に撃破されて戦死しました。

 

今回は燕のしくじり宰相、粟腹について解説してみます。

 

 

趙がボロボロになっている事を察知

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

粟腹は紀元前251年に燕王喜(えんおう・き)から趙の孝成(こうせいおう)の誕生日を祝う使者として登場します。粟腹は酒代として五百金の黄金をもたされ邯鄲(かんたん)に派遣されました。

 

邯鄲で粟腹が見たのは、紀元前260年の長平の敗戦とその後秦による邯鄲包囲を受けて、疲弊してしまった趙の姿でした。40万の大軍が穴埋にされた趙では、老人と子供ばかりで成人した大人が少なく戦争の後遺症を引きづっているように見えたのです。

 

 

「ここまで趙の回復が遅いとは思わなかった、むしろこれはチャンスではないか?

 

国力が回復しきっていない今なら、燕の兵力でも趙に勝つ事が出来るぞ」粟腹はお祝いの席で不謹慎な事を考えながらニヤニヤして帰国します。

 

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燕王喜に趙攻めを進言する栗腹

洛陽城

 

粟腹は燕に帰国するや、あいさつもそこそこに燕王喜に趙攻めを進言しました。「私が見たところ、趙は長平の戦いで兵士が枯渇(こかつ)してしまい、邯鄲の街は少年と婦人と老人ばかりで、成人した兵士はほとんどいません。今こそ趙を攻めるチャンスですぞ」

 

話を聞いて喜は乗り気になりますが、試しに趙の国情に詳しい昌国君楽間(しょうこくくん・がくかん)に聞いてみると、

 

「趙は四方を敵に囲まれているので戦争が絶えず、兵士ばかりではなく人民も戦に慣れています。弱体化しているように見えても容易に倒せませんぞ」と反対されます。

 

しかし、燕王は諦めきれず「では、趙の二倍の兵力で攻め込もう、これなら勝利を得られるか?」と楽間に尋ねると楽間は「それでは勝てません」と即答しました。

 

さらに燕王が「では、5倍の兵力で攻め込もう、これならどうだ?」と問うと楽間は「それでも勝てません」と素っ気ない返事をします。

 

もう1人、燕の大夫将渠(たいふ・しょうきょ)という人物も「趙は燕の友好国なのに武器を使えば天下の物笑いになりますぞ」と燕王を諫めました。これにはさすがの燕王もブチ切れました。

 

「なんだよそれ!燕の兵士は趙の少年兵の1/5以下の力しかないってのか!黙って聞いてりゃ燕をナチュラルにディスってんじゃねえぞ!あ?もういいよ!あったまきた、意地でも邯鄲を落としてやる」

 

燕王喜が叫ぶと群臣も一斉に賛成し、燕王は60万もの大軍と二千両もの戦車を動員。粟腹には40万人を与えて邯鄲に向かわせ、もう1人、卿秦という将軍には20万の与えて北方の代を攻めさせ、自分も総大将として出陣します。

 

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大軍を率いるも廉頗に大敗する栗腹

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しかし、楽間の見通しは大正解で粟腹の予想は大外れでした。粟腹は40万の大軍で邯鄲を目指しますが、(こう)という土地で趙の名将廉頗の8万の軍勢に遭遇し大敗を喫した上に、あっけなく討死してしまうのです。

 

さらに廉頗は、代を攻めていた卿秦も撃破し、卿秦と従軍していた楽間も捕虜にしたと史記には記録されています。それにしても少年兵ばかりだったはずの趙はかなり強いですね。廉頗が名将だった事もあるのでしょうが、粟腹が弱すぎたのでしょうか?

 

燕の大軍を散々に破った廉頗は気を良くし「出陣したついでじゃあ、燕に攻め込んで薊を包囲してくるかのう?」とうそぶきます。大敗した燕王喜は大急ぎで薊に逃げ戻る事になりました。

 

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粟腹を信じたばかりに

 

60万の兵力を喪失し、打って出る力がない燕王喜は為す術なく籠城を選択。そこに廉頗は大軍を率いて進軍し、薊を包囲して兵糧攻めに入ります。

 

しかし、幾ら持久しても外から援軍が来るアテもないので、燕王は仕方なく5つの城を割いて廉頗と講和します。領地を得るどころか燕の領地を削ってしまった燕王は粟腹の言う事を聞いた事を後悔した事でしょう。

 

しかも燕は翌年の紀元前249年、趙の武襄君(ぶじょうくん)楽乗(がくじょう)に攻め込まれ、また薊を包囲されてしまう状態に陥っています。粟腹の大失敗は燕を何度も苦しませる事になりました。

 

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キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

浅はかな判断で主君に迷惑をかけた粟腹については、斉の遊説家(ゆうぜいか)魯仲連(ろちゅうれん)も批判しています。「粟腹は、十万の兵力を率いて万乗の国に挑んで大敗し自身は滅び、燕は城を失い王は困り、かくして天下の物笑いの種になれり」

 

確かに粟腹も浅はかですが、一番悪いのは楽間や将渠が諫めるのも聞かずに大軍で攻めれば勝てるだろうと軍を動かした燕王喜でしょうね。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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