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曹操の親衛隊「虎豹騎」とは?曹休と曹真が所属した虎豹騎はその後どうなった?

2022年1月14日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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絶大な信頼を受けた「曹真」

曹真を引き取り養う曹操 +曹丕

 

曹純、曹休と共に虎豹騎の指揮を執ったのが「曹真」です。曹真の父は曹操の挙兵にともなって一族として協力しますが、董卓(とうたく)の部下ともめごとを起こし、殺されてしまいます。曹操は父を亡くした曹真を不憫に思い、わが子同然に育てました。この時、曹休も同じように育てられています。

 

魏の重鎮になった曹真

 

曹真は虎を弓の一撃で殺すなど武勇で知られており、曹操によって虎豹騎の指揮に抜擢されたのです。彼は雍州(ようしゅう)涼州(りょうしゅう)方面の責任者として活躍しますが、呉の征伐の際は曹休などと共にその戦いに赴いています。

 

曹叡に蜀を征伐することの必要性を説く曹真

 

曹操の息子曹丕にも大いに信頼され、その死の間際には次の皇帝曹叡(そうえい)」の補佐を司馬懿(しばい)などと共に任されています。

 

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曹真

 

 

 

その後の虎豹騎

劉備軍に降伏する馬超

 

最後に虎豹騎の活躍が見られるのは馬超らとの戦い「潼関(どうかん)の戦い」で、そこでは歩兵部隊と連携し馬超(ばちょう)軍を敗退させています。その後は虎豹騎の活躍はあまり見られず、曹休や曹真もさらに栄達していたため、曹操の死後は部隊は縮小したのかもしれませんね。

 

曹爽

 

曹真の息子「曹爽(そうそう)」は大きな権力を手に入れますが、父と違い戦には弱く、さしたる戦績もないまま殺されています。

 

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馬超特集

 

 

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

曹真、曹休は騎馬において絶大な能力を持っていたようですね。当時は騎馬での戦いがとても重要でしたから、戦の花形として大いに注目を浴びたでしょうね。

 

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一億二千万人の三国志

 

 

 

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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