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絶大な信頼を受けた「曹真」
曹純、曹休と共に虎豹騎の指揮を執ったのが「曹真」です。曹真の父は曹操の挙兵にともなって一族として協力しますが、董卓の部下ともめごとを起こし、殺されてしまいます。曹操は父を亡くした曹真を不憫に思い、わが子同然に育てました。この時、曹休も同じように育てられています。
曹真は虎を弓の一撃で殺すなど武勇で知られており、曹操によって虎豹騎の指揮に抜擢されたのです。彼は雍州・涼州方面の責任者として活躍しますが、呉の征伐の際は曹休などと共にその戦いに赴いています。
曹操の息子曹丕にも大いに信頼され、その死の間際には次の皇帝「曹叡」の補佐を司馬懿などと共に任されています。
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その後の虎豹騎
最後に虎豹騎の活躍が見られるのは馬超らとの戦い「潼関の戦い」で、そこでは歩兵部隊と連携し馬超軍を敗退させています。その後は虎豹騎の活躍はあまり見られず、曹休や曹真もさらに栄達していたため、曹操の死後は部隊は縮小したのかもしれませんね。
曹真の息子「曹爽」は大きな権力を手に入れますが、父と違い戦には弱く、さしたる戦績もないまま殺されています。
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三国志ライターみうらの独り言
曹真、曹休は騎馬において絶大な能力を持っていたようですね。当時は騎馬での戦いがとても重要でしたから、戦の花形として大いに注目を浴びたでしょうね。
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