華麗なる?夏侯惇一族や親戚はその後どうなったの?

2022年3月11日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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曹操と夏侯惇

 

夏侯惇(かこうとん)」と言えば曹操(そうそう)の初期からの勇将で、数々の戦で戦功をあげたことで知られますね。また、呂布(りょふ)との戦いで左目を失い、創作物などでは眼帯姿としてもおなじみです。

 

今回の記事ではそんな夏侯惇の親戚、一族について紹介していきます。いずれも「魏」で重きをなした者ばかりです。最初はその夏侯惇本人から紹介しましょう。

 

 

曹操に尽くした夏侯惇

猛将のイメージが強い夏侯惇

 

夏侯惇は若いころ、学問の師を侮辱した人物を殺してしまうほどの気性の激しさで知られていました。曹操が初めて挙兵した時からこれに従い、その勇猛さで多くの戦で功績を上げます。

 

鏡を見ると怒って割っていた夏侯惇

 

呂布との戦いでは左目を失い、後に紹介する同族の「夏侯淵(かこうえん)」と区別するため、「盲夏候(もうかこう)」と言われていましたが、本人はこれを嫌がり、鏡を見るたびに叩き割っていたそうです。戦いだけでなく、灌漑(かんがい)工事を行うなど、内政面でも功績を上げています。

 

幕末 臨終のシーン 亡くなる(死)モブ

 

曹操が亡くなると、後継ぎの「曹丕(そうひ)」により軍事の最高位「大将軍」に任命されますが、その直後に死去。その死は曹操の数か月後でした。

 

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そもそも曹操も夏侯惇の一族だった!

曹騰

 

夏侯惇が仕えた曹操ですが、実は夏侯惇と同族です。曹操の父「曹崇(そうすう)」は宦官「曹騰(そうとう)」の養子になったのですが、曹崇は夏候家の出身で、夏侯惇の父の弟です。と、いう事は夏侯惇と曹操は「いとこ」という事になりますね。曹操の実家は「夏候家」ですので、曹操と夏侯惇は幼いころからの知り合いだったのでしょう。

 

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宦官

 

 

夏侯淵はちょっと遠い親戚?

魏の夏侯淵

 

夏侯淵と夏侯惇は並んで語られることが多く、兄弟のようなイメージの夏侯淵。正史「正史」三国志には「夏侯淵は夏侯惇の“族弟(ぞくてい)”である」と書かれています。

 

「族弟」とは「年下の同族」を意味するとされ、本当の二人の関係は良くわかりません。一説には2人の関係は「いとこ」で、夏侯惇の父と夏侯淵の父が兄弟にあたるそうです。

 

法正に敗れる夏侯淵

 

夏侯淵は夏侯惇と同じく武勇に優れ、特に迅速な行軍と奇襲攻撃を得意としていました。のちに要衝の地「漢中」の守備を任されますが、隙を突かれて劉備(りゅうび)軍に敗れ戦死してしまいました。

 

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法正

 

 

業績不明な弟「夏侯廉」

同年小録(書物・書類)

 

夏侯惇には「夏侯廉(かこうれん)」という弟がいました。殆ど正史に記録はなく、どんな業績を残したかはわかっていませんが、夏侯惇の生前に「列侯(れっこう)」(領地と爵位を授かる)に任命されたそうです。

 

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夏侯惇の長男「夏侯充」

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

夏侯惇が死んだあと、その爵位を継いだのは長男の「夏侯充(かこうじゅう)」という人物です。大きな功績を上げた父を持ちながら、ほとんど記録が残っていないため、おそらく何かを成し遂げた人物ではなかったのでしょう。

 

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不肖の息子「夏侯楙」

夏侯楙

 

二男の「夏侯楙(かこうぼう)」も兄と同じく、父の功績により爵位を与えられていました。曹操の妹を妻にするなど、一族でも期待されていたようですが、本人は武勇に欠け、金儲けが好きで、女遊びが好き、という「無能な二代目」の典型的な人物だったようです。

 

蜀の魏延

 

夏候楙は「長安」を含む「間中」の守備を任されていましたが、その悪評が蜀まで伝わっていたのか蜀の「魏延(ぎえん)」に「長安を守る夏候楙は年も若く、兵事に疎い人物。私に兵を与えてくれれば、長安を急襲しましょう。」とまで言われています。

 

魏延からの提案を却下する孔明

 

その作戦は諸葛亮(しょかつりょう)により却下されていますが、もし実現していれば魏もあぶなかったかも知れません。

 

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魏延特集

 

 

 

礼儀がなってない、「夏侯子臧・夏侯子江」

 

夏候楙には「夏侯子臧(かこうしぞう)夏侯子江(かこうしこう)」という二人の弟がいました。彼らは何か「令に欠けた」振る舞いが多かったらしく、兄の夏候楙に叱責されていました。

 

弟たちはこれを恨み、また処分を恐れていたため、夏候楙の罪を偽装し、彼を陥れようとしました。夏候楙は夏候楙で、多くの妾を囲い、妻と仲が悪くなっていたため、先述の弟たちの陰謀に妻も加担しました。

 

曹叡

 

夏候楙の妻は皇帝の「曹叡(そうえい)」に夏候楙の罪を上奏しました。曹叡は夏候楙を処刑しようとしましたが、側近が「彼の父(夏侯惇)は大きな功績がある方ですから。」と擁護し、夏候楙は何とか死を免れたのです。

 

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三国志と異民族

 

 

 

 

他の夏侯惇の子たち

 

先述の子たちの他にも、夏侯惇には7人もの子供がいたらしく、夏侯惇の死後にそれぞれ爵位を貰っていたようです。

 

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英雄の墓

 

知略に優れた夏侯淵の甥「夏侯尚」

夏侯尚

 

夏侯惇の甥に「夏侯尚(かこうしょう)」がいます。彼は知略に優れ、曹丕にとても信頼されていたようです。

 

騎兵を率いる夏侯尚

 

呉や蜀との戦いで功績を上げ、与えられた領地でも異民族の慰撫や住民の信頼を得て、その領地はとても安定したといいます。

 

病気で床につく夏侯尚

 

ただ、妻(曹家の人間)と仲が悪く、側室ばかり大事にしたため、側室を曹丕によって殺されてしまい、そのショックで病に臥せってしまいました。

 

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李傕・郭汜祭り

 

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

夏侯惇はとても優秀な人物でしたが、その子供の世代になるといきなり劣化してしまい、大した功績を上げる人物がいなかったのが残念ですね。苦労した初代に比べるとその次はどうしても甘えが出てしまう、という事なのでしょうね。これは現在でも同じかもしれません。

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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