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丁儀が曹丕に縁談を破壊された理由は容姿だけではなかったってホント?

2022年4月28日


 

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曹丕に結婚を妨害された丁儀

 

曹丕(そうひ)に四友がいたように、弟・曹植(そうしょく)にも四友がいました。その一人が曹丕とひと悶着あったということで評判の丁儀(ていぎ)です。

 

主に容貌が醜いという理由だけで嫌われたとされる丁儀ですが、今回はちょっと見方を変えてみたいと思います。実はそこにはその後の皇室への影響もあった……かもしれないお話、してみましょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹丕が潰した丁儀の縁談

丁儀の詩才を愛する曹操

 

丁儀の父親は曹操(そうそう)とは古くから親しく、その息子であり才能もあった丁儀は曹操に好かれていたと言います。そこで曹操は丁儀に自分の娘を嫁がせようとしますが、ここで待ったをかけたのが息子の曹丕。

 

 

北方謙三風ハードボイルドな曹丕

 

曹丕は丁儀が斜視で片目が小さく見え、容貌が醜いことを引き合いに出して(そし)り、丁儀ではなく夏侯楙(かこうぼう)との結婚を進めます。曹操はこれに納得するも、後悔したとも言われています。

 

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曹丕を恨んだ丁儀が曹植を担ぐ

曹丕を生涯恨む丁儀

 

これを恨んだのは丁儀です。公主と結婚できると思ったのに、よりにもよって容貌が醜いという理由で破談にされたのですから。

 

曹丕が嫌いで曹植に付く丁儀

 

この恨みは強く、丁儀は弟と共に曹丕の弟、曹植に付きます。後に曹操は曹丕と曹植どちらを後継者にしようかと悩み、二人の支援者たちの争いにまでなりますが……まぁここはどこでも一緒でしょう。

 

賈詡

 

最終的に決め手は我らが()ク先生の深慮遠謀(しんりょえんぼう)な一言。結果、曹植は失脚し、曹丕は(色々あってから)皇帝に。丁儀兄弟は曹丕によって処刑するという最期を迎えました。

 

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はじ三倶楽部

 

 

今回のテーマ(テストにでません)

詩才がある丁儀

 

さてここで考えたいのが今回のテーマ。曹丕が姉と丁儀の結婚を邪魔したということ。これが本当にあったとしたら、どうして曹丕は丁儀と結婚させるのを止めさせたのか?

 

イケメンじゃなかったからか?

本当にそうか?

だからって夏侯楙もどうよ

 

皇帝に就任した曹丕

 

いいや、曹丕には曹丕の考えがあったのだ!

そしてそれは後の皇室にも関係してきたのだ……というのが、今回のテーマです。

 

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はじめての三国志連載特集

 

 

曹昂を見殺した曹操と別れた丁夫人

丁夫人

 

ここで思い出して欲しいのが曹操と友人、丁儀の父親。父親は丁沖(ていちゅう)と言いますが、実はこの人、曹操の正室、丁夫人(ていふじん)と親戚関係であると言われています。

 

曹操の正室は元々は劉夫人(りゅうふじん)という人でしたが、曹昂(そうこう)曹鑠(そうしゃく)清河長公主(せいかこうしゅ)を産んで早くに亡くなりました。次の正室丁夫人は子供たちを養育して可愛がっていましたが、曹操の浮気(密通)が原因で曹昂は戦死してしまいます。丁夫人はこれを激しく恨み、激怒して曹操と離縁しました。

 

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当時の結婚は家と家を結びつけるモノ

杜氏と結婚する秦宜禄

 

この時代、結婚とは家と家の結びつきです。また出資者の血縁関係者と結婚して結びつきを深めることも多々ありました。そこから考えると、丁沖と仲が良かったので丁夫人を曹操は娶り、家と家の結びつきを強くした。

 

朝まで三国志 丁夫人

 

しかし曹昂の一件で丁夫人は怒って曹操と離縁したので、結びつきが弱まったと言えます。が、離縁の原因は何だかんだ曹操です。曹操はそれもあって、丁一族の丁儀と自分の娘を結婚させようとしたのではないでしょうか。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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