曹丕に四友がいたように、弟・曹植にも四友がいました。その一人が曹丕とひと悶着あったということで評判の丁儀です。
主に容貌が醜いという理由だけで嫌われたとされる丁儀ですが、今回はちょっと見方を変えてみたいと思います。実はそこにはその後の皇室への影響もあった……かもしれないお話、してみましょうか。
この記事の目次
曹丕が潰した丁儀の縁談
丁儀の父親は曹操とは古くから親しく、その息子であり才能もあった丁儀は曹操に好かれていたと言います。そこで曹操は丁儀に自分の娘を嫁がせようとしますが、ここで待ったをかけたのが息子の曹丕。
曹丕は丁儀が斜視で片目が小さく見え、容貌が醜いことを引き合いに出して謗り、丁儀ではなく夏侯楙との結婚を進めます。曹操はこれに納得するも、後悔したとも言われています。
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曹丕を恨んだ丁儀が曹植を担ぐ
これを恨んだのは丁儀です。公主と結婚できると思ったのに、よりにもよって容貌が醜いという理由で破談にされたのですから。
この恨みは強く、丁儀は弟と共に曹丕の弟、曹植に付きます。後に曹操は曹丕と曹植どちらを後継者にしようかと悩み、二人の支援者たちの争いにまでなりますが……まぁここはどこでも一緒でしょう。
最終的に決め手は我らが賈ク先生の深慮遠謀な一言。結果、曹植は失脚し、曹丕は(色々あってから)皇帝に。丁儀兄弟は曹丕によって処刑するという最期を迎えました。
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今回のテーマ(テストにでません)
さてここで考えたいのが今回のテーマ。曹丕が姉と丁儀の結婚を邪魔したということ。これが本当にあったとしたら、どうして曹丕は丁儀と結婚させるのを止めさせたのか?
イケメンじゃなかったからか?
本当にそうか?
だからって夏侯楙もどうよ
いいや、曹丕には曹丕の考えがあったのだ!
そしてそれは後の皇室にも関係してきたのだ……というのが、今回のテーマです。
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曹昂を見殺した曹操と別れた丁夫人
ここで思い出して欲しいのが曹操と友人、丁儀の父親。父親は丁沖と言いますが、実はこの人、曹操の正室、丁夫人と親戚関係であると言われています。
曹操の正室は元々は劉夫人という人でしたが、曹昂、曹鑠、清河長公主を産んで早くに亡くなりました。次の正室丁夫人は子供たちを養育して可愛がっていましたが、曹操の浮気(密通)が原因で曹昂は戦死してしまいます。丁夫人はこれを激しく恨み、激怒して曹操と離縁しました。
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当時の結婚は家と家を結びつけるモノ
この時代、結婚とは家と家の結びつきです。また出資者の血縁関係者と結婚して結びつきを深めることも多々ありました。そこから考えると、丁沖と仲が良かったので丁夫人を曹操は娶り、家と家の結びつきを強くした。
しかし曹昂の一件で丁夫人は怒って曹操と離縁したので、結びつきが弱まったと言えます。が、離縁の原因は何だかんだ曹操です。曹操はそれもあって、丁一族の丁儀と自分の娘を結婚させようとしたのではないでしょうか。
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