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張紘と張昭。史実では「二張」と呼ばれなかった2人の関係性を考察

2022年5月24日


 

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大喬と小喬

 

橋公(きょうげん)の二人の娘、姉を大喬(だいきょう)、妹を小喬(しょうきょう)、絶世の美女であった二人を妻にしたのは孫策(そんさく)周瑜(しゅうゆ)

 

周瑜

 

周瑜は「「江東の二喬」は確かに美女ではあるが、我らを夫にできて幸せだろう」……と言ったとされますが、今回はそれはこっちに置いておいて。

 

張紘

 

今回ご紹介するのは「江東の二張」と呼ばれた方の一人、張紘(ちょうこう)についてのご紹介です。実は幾人もの英傑に関わってきた彼の生涯を見ていきましょう。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張紘は曹操より2歳年上

魏の曹操孟徳

 

さて張紘ですが、その生まれは153年。曹操(そうそう)の生まれが155年となっているので、それよりも年上となります。若き頃から学問に励んでいた彼の優秀さは有名であり、茂才によって推挙されかかるも何進らからの呼び出しに応じず、戦火を避けるために江東に赴きました。

 

北方謙三風ハードボイルドな孫策

 

ここで彼を見つけたのが孫策です。孫策はよっぽど張紘が気に入っていたのか、張紘が母親を亡くして喪中であったにも関わらず訪ねて勧誘しました。そして張紘はこれに応じ、それからは度々自ら先頭に立って戦う孫策を(たしな)めていたと言います。

 

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呉の武将

 

 

 

曹操にスカウトされたが断る

人材を見出すのが趣味の曹操

 

199年、張紘は許都(きょと)に赴きます。この際に有能な人材に目を付けて欲しがることに定評がある曹操、乱世の奸雄らしく勧誘(笑うところ)をしますが、これに応じず。しかしよりにもよって翌年に孫策が突如死に、まだ若い孫権(そんけん)がその後を継ぎました。

 

周瑜と張昭に孫権を頼んだと依頼して亡くなる孫策

 

ここで張紘は「他人の喪に付け込まず、恩義を与えるべき」と言い、ひとまず孫権のことは置いておくことにしました。何気に孫策が押し掛けた時には張紘は喪中だったのでは、なんて思ってはいけません。ともあれひとまず孫権の身は助かり、その後、張紘は孫権の元に戻ります。

 

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211年に孫権に惜しまれつつ死去

張紘が病死したという手紙を読み涙する孫権

 

211年、孫権は当時、本拠地を呉郡にしていましたが、この時に後の建業(けんぎょう)に移します。これは張紘の考えであり、またその方が良いと孫権も劉備(りゅうび)もこれに同意していたと言われています。

 

しかし呉郡に孫権の家族を迎えに行った張紘、その道の半ばで病没。我が子に孫権への手紙を託し、それを読んだ孫権は涙を流したとあります。ここで正史における張紘は退場となります。

 

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もう1人の張氏、張昭

張昭

 

さて冒頭でも話した江東の二張、もう一人は皆さまも良くご存知の張昭(ちょうしょう)ですね。そう、孫権と良くガチバトルを繰り広げるおじいちゃんです。彼らが二張と呼ばれるのは、実は三国志演義が(さんごくしえんぎ)始まりです。三国志演義では張昭と共に江東の二張と呼ばれ、孫策から孫権へと主が代替わりすることになります。

 

張昭

 

この時に張昭の口利きによって、張紘は孫権に仕えるようになりました。おじいちゃんキャラクターとして孫権に苦言を呈する役回りですが、張昭ほど目立ってはいないのも特徴でしょうか。

 

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張紘は呂布にスカウトされた事もある

めちゃくちゃ強い呂布

 

さてかつては何進ら、そして曹操にも引き抜かれそうになった張紘。実はもう一人、孫策から張紘を引き抜こうとした人物がいます。それこそがかの飛将軍、呂布(りょふ)。しかし張紘は呂布を嫌い、孫策が断ったと言います。

 

孫策が亡くなり呉を継ぐ若き孫権

 

部下たちとはフランクに付き合った孫権ですが、張紘は「東部殿」と呼んで敬ったと言います。張紘は孫策だけでなく、孫権にも「大将があまり前に出るな」と苦言を呈したとも言い、兄弟を共に諫める役回りだったのでしょう。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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