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陸抗の配下「吾彦」
さて、嘗て陸抗の配下に、吾彦という人物がおりました。この吾彦は実に立派な人物で、陸抗もそれを見抜いて引き立てたと言うのですが……そしてその陸抗の目に狂いはなく、順当に出世していきます。
陸抗亡き後も呉を支え続け、晋による呉の討伐の時にも果敢に戦い、守勢を続けました。しかし呉の国は降伏を選び、吾彦もまた、後は晋に仕えるようになるのでした。ある日、吾彦は武帝・司馬炎に尋ねられました。
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陸兄弟の怒り
司馬炎は吾彦の仕えていた陸抗、そしてその従兄弟にどちらが優れた人物かと尋ねたのです。それに吾彦は「徳や名望では陸抗殿は陸機殿には及びませんでした。しかし、功績を立て賞賛されることでは陸機殿が陸抗殿に及ぶ所ではありませんでした」吾彦は嘗ての主で、恩ある陸抗だけを褒めるようなことはせず、両名を正しく評価したといいます。
しかしこれに怒ったのが陸機、陸雲。父親だけを評価するべきだ!とでも思ったのか、彼らはそれ以降、吾彦に対して悪口を言って回り、吾彦からの贈り物も拒否するようになったと言います。
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裴松之先生の琴に触れる(わるい意味で)
後に別の人がこの事で陸兄弟を咎めたため、二人の兄弟の怒りは段々と解けていった……とは言いますが、どうにも孫の陸兄弟、心が狭いというか、なんと言うか……別段非難されたわけでもないのに、相手の悪口を言って回るような振る舞い、よろしくありませんね。
そして彼らは晋の時代に置いて八王の乱に巻き込まれてしまうのですが、ここで裴松之先生の「こんな悪いことやってるから孫の代で一族が絶えるんだよ!」のお言葉。
もしかして晋の時代に置いて、陸遜や陸抗ではなく、陸機、陸雲はあまり周囲からの評判がよろしくなかったのではないでしょうか?
また裴松之先生の時代にもなれば、陸家と言えばこの陸兄弟の印象が強く残っており、好ましく思われていなかった可能性もあります。なので裴松之先生はそもそもこの兄弟が嫌いだったんこともあって、更に上の代の陸抗、陸遜にその苛立ちをぶつけてしまったのではないか。そう考えたのですが、どうですかね?
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三国志ライター センのひとりごと
陸遜、そして陸抗……個人的には陸抗に付いての方が筆者はより好ましく思うのですが、吾彦の逸話を見る限り、あまり陸機、陸雲兄弟に良い印象は抱けませんね。
これだけで判断してしまうのもなんですが、父親の可愛がっていた部下に対してこの態度を取るのは、性格的に余りよろしくない人物ではなかったのではないか、とも思います。
そういう面が二世から……三世から上に影響を及ぼしてしまったのではないか、という裴松之先生への妄想です。筆者の個人的な考察ですが、ちょっと有り得るかなー?とか思って頂ければ幸いですね。
どぼーん。
参考文献:三国志呉書陸遜伝 晋書吾彦伝
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