裴松之はどうして賈詡だけではなく陸遜も嫌いだったのか?

2022年6月14日


 

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歴史書をつくる裴松之

 

三国志(さんごくし)に注を付けた裴松之(はいしょうし)、皆さんもご存知のことと思います。割と信ぴょう性の低い話でも載せてしまう方ではありますが、この注釈の面白さもまた三国志の華だと筆者は思っております。

 

賈クが大嫌いな裴松之

 

さてそんな裴松之先生ですが、大の(かく)詡嫌いであったことは周知の事実。しかし、実は同じくらい嫌っていた人物がいることはご存知でしょうか。その人物こそ陸遜なのですが、今回はこの裴松之先生の陸遜(りくそん)嫌いについて考えてみたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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賈詡が大嫌いな裴松之

主観が入りまくりな裴松之

 

裴松之先生と言えば賈ク先生、と巷で言われているかは分かりませんが、裴松之先生は賈クを批判しまくりです。批判する時に筆が走ってしまうのはもしかしたら古今東西津々浦々、皆一緒なのかもしれませんが……注釈が見ていて笑いが漏れてくるほどです。

 

審配(しんぱい)

 

まぁ賈クは主を良く変えているので、そういう人物が嫌いだった可能性もあるでしょう。諸葛亮(しょかつりょう)審配(しんぱい)が大好きなのはそういうタイプが好きだったから……とも言えると思うのですが。

 

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陸親子も嫌いな裴松之

裴松之(歴史作家)

 

では陸遜、陸抗(りくこう)親子に付いてはどうでしょうか。裴松之先生は二人のやったことを挙げては悪行と言い、尽くお怒りモードです。果てには「こんな悪いことやってるから孫の代で一族が絶えるんだよ!」とまで言っております。陸遜も陸抗も主君に最期まで仕えたと言って良い人物。裴松之先生がそこまで陸親子を嫌った理由はどこにあるのでしょうか?

 

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裴松之がこれだけ嫌っている理由の答えは晋の時代に?

孫権に煽られて憤死する陸遜

 

その答えを追うために、晋の時代まで下がっていってみましょう。陸遜は既に、二宮(にきゅう)(へん)が起こった際に憤死したと言われています。この際に陸遜が受けた疑惑については、息子である陸抗が晴らしました。そして陸抗は父と同じく、呉に仕えることとなります。

 

羊コと信頼の関係を築く陸抗(りくこう) 羊祜

 

この辺りは晋の(よう)コとは敵味方でありながら友誼(ゆうぎ)を通じるなど、中々有名な所ですね。ただし陸抗自体は、()の時代で病により命を落とすこととなるのでした。

 

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子の時代、孫の時代

陸雲

 

陸抗が亡くなった後は、その子供たち、陸遜からすれば孫たちが後を継いでいくことになります。とは言え、既に呉は斜陽の時代を迎えていました。そして280年、(しん)による呉の征伐が行われます。

 

この戦争の際に、陸抗の息子の陸晏(りくあん)陸景(りくけい)は戦死することになります。しかしその兄弟である陸機(りくき)陸雲(りくうん)は生き残り、晋に仕えることになりました。この陸機、陸雲がキーポイントとなると思われます。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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