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呉に一矢報いる!VS朱然!
関羽を失った劉備はかたき討ちのために呉に攻め込みます。この「夷陵の戦い」で劉備は陸遜の計略にかかり大敗、逃走します。
これを追いかけてきたのが呉の武将「朱然」でした。危機一髪の劉備でしたが、成都から趙雲が駆け付け、朱然を斬ります。ちなみに朱然は正史「三国志」では「夷陵の戦い」の27年後に亡くなっており、本当の意味での趙雲の犠牲者と言えるかもしれません。
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蜀の今後を占う戦い!VS姜維
諸葛亮は北伐のため、「天水」に趙雲らを率いて出兵します。そこに立ちはだかったのが当時魏に仕えていた姜維でした。姜維は計略をもって諸葛亮らを翻弄、蜀軍を大いに困らせます。当時老齢だった趙雲はそんな若武者姜維に一騎打ちを挑みます。
老練な趙雲に対し、姜維は華麗な槍さばきで戦い、趙雲は驚きます。そんな中で魏軍の援軍が到着。趙雲は撤退します。姜維の知略と武勇に惚れた諸葛亮は計略を使い、魏軍から姜維を引き抜くことに成功します。この趙雲対姜維のエピソードは蜀の世代交代を印象付けるためのエピソードとなっています。
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趙雲の戦績は?
小説三国志演義での趙雲は数々の一騎打ちを行っていますが、その戦績はどのような感じだったのでしょうか。これは独自集計になりますが、32戦して28勝3分け(文醜、許チョ、張郃)1敗(姜維)だと推定しています。ほとんどが勝利で、唯一の敗北が姜維戦、と言ったところでしょうか。
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三国志ライターみうらの独り言
三国志演義の趙雲の活躍は実に華々しく、まさに主役といった感じです。趙雲はドラマにもなっており、「三国志趙雲伝」というドラマは趙雲の一騎打ちがたくさん見られるのでおススメです。
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