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蜀の至宝!趙雲の一騎打ちの戦績

2022年7月17日


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趙雲の一騎打ち

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉に一矢報いる!VS朱然!

夷陵の戦いで負ける劉備

 

関羽を失った劉備はかたき討ちのために呉に攻め込みます。この「夷陵(いりょう)の戦い」で劉備は陸遜の計略にかかり大敗、逃走します。

 

朱然

 

これを追いかけてきたのが呉の武将「朱然(しゅぜん)」でした。危機一髪の劉備でしたが、成都(せいと)から趙雲が駆け付け、朱然を斬ります。ちなみに朱然は正史「三国志」では「夷陵の戦い」の27年後に亡くなっており、本当の意味での趙雲の犠牲者と言えるかもしれません。

 

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蜀の今後を占う戦い!VS姜維

北伐する孔明

 

諸葛亮は北伐のため、「天水」に趙雲らを率いて出兵します。そこに立ちはだかったのが当時()に仕えていた姜維(きょうい)でした。姜維は計略をもって諸葛亮らを翻弄、蜀軍を大いに困らせます。当時老齢だった趙雲はそんな若武者姜維に一騎打ちを挑みます。

 

孔明と姜維

 

老練な趙雲に対し、姜維は華麗な槍さばきで戦い、趙雲は驚きます。そんな中で魏軍の援軍が到着。趙雲は撤退します。姜維の知略と武勇に惚れた諸葛亮は計略を使い、魏軍から姜維を引き抜くことに成功します。この趙雲対姜維のエピソードは蜀の世代交代を印象付けるためのエピソードとなっています。

 

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趙雲の戦績は?

三国志演義_書類

 

小説三国志演義での趙雲は数々の一騎打ちを行っていますが、その戦績はどのような感じだったのでしょうか。これは独自集計になりますが、32戦して28勝3分け(文醜(きょ)チョ、張郃(ちょうこう))1敗(姜維)だと推定しています。ほとんどが勝利で、唯一の敗北が姜維戦、と言ったところでしょうか。

 

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三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

三国志演義の趙雲の活躍は実に華々しく、まさに主役といった感じです。趙雲はドラマにもなっており、「三国志趙雲伝」というドラマは趙雲の一騎打ちがたくさん見られるのでおススメです。

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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