帝位を奪おうとした極悪人?「司馬昭」の逸話とは?

2022年7月18日


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司馬昭と司馬師

 

司馬昭(しばしょう)」は司馬懿(しばい)の息子で司馬師(しばし)の弟です。彼は兄とともに司馬家が()の帝位を簒奪(さんだつ)するための準備をした人物として知られていますね。

 

司馬昭から蜀の討伐を命じられる鍾会と鄧艾(トウ艾)

 

元々は配下でありながら、皇帝である曹一族(そういちぞく)をないがしろにして政治を行っていたため、司馬昭の評判はあまりよろしくありません。今回の記事ではそんな司馬昭のプロフィールから意外な逸話まで紹介していきましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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司馬懿の息子として生まれ、意外な一面も見せる

司馬昭

 

司馬昭は司馬懿の次男として生まれました。そして父司馬懿の功績により、とんとん拍子に出世をしていきます。

 

北伐でやりあう曹叡vs孔明

 

時の皇帝は曹叡(そうえい)。彼は諸葛亮(しょかつりょう)が北伐を行っている間はその対応に追われていましたが、諸葛亮が死ぬと、どうやらタガが外れてしまったようです。

 

曹叡

 

大規模な宮殿の建設や民衆からの徴発を行い、農民を強制労働させ、農村は荒廃しました。しかし、司馬昭は農民の徴発を行わず、農業に専念させたので、民は感謝したと言います。冷酷なイメージのある司馬昭の意外な逸話です。

 

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父とともにクーデターを起こし、魏の実権を握る

司馬懿の墓

 

その後、敵対していた曹一族の「曹爽(そうそう)」をクーデターによって殺害し、魏の実権を完全に掌握します。ただ、このクーデターは司馬懿と司馬師が主導し、司馬昭は当日まで知らされていなかったようです。

 

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姜維を何度も撃退する

蜀の姜維

 

司馬家が魏の実権を握ってからは、(しょく)の「姜維(きょうい)」の北伐にもっぱら対応しました。司馬昭は、策謀家のイメージですが何度も進行してくる姜維を計略をもって撤退させるなど、軍事面で活躍していました。また、北方の異民族を撃退するなど、辺境まで軍を進めており、かなりアグレッシブに戦っていたと考えられます。

 

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兄・司馬師が死に、魏の実権を握る司馬昭

晋の司馬師は玉座に座る

 

転戦していた司馬昭ですが、そんな時に兄の司馬師が亡くなります。司馬師には跡継ぎがいなかったので、司馬昭が魏の実権を握ります。

 

諸葛誕を攻める司馬昭

 

そんな彼を苦々しく思っていた人も当然いて、西暦257年には「諸葛誕(しょかつたん)」が反乱を起こし、それを鎮圧しています。

 

しかし、この戦いの後にも逸話があり、司馬昭は反乱に加担し、降伏した武将や兵をすべて許したのです(ただし諸葛誕や降伏しなかったものは皆殺し)。寛容な司馬昭を見せた意外な逸話です。

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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