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実は魯粛も言っていました「You、皇帝になりなYO!」

2022年8月18日


 

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漢中王になる劉備

 

 

三国志(さんごくし)とは言いますが、実際には前半は漢王朝(かんおうちょう)の時代です。曹丕(そうひ)が漢王朝から禅譲され、劉備(りゅうび)がそれに物申して皇帝になって、それから孫権(そんけん)も皇帝になって、初めて三国志、と言えるのかもしれません。

 

 

袁術

 

 

さてどれだけ権力が地に落ちても漢王朝の時代、皇帝はしっかりいるのですから皇帝をいきなり名乗るとかとんでもないことでした。しかしそんな時代に、袁術(えんじゅつ)ともう一人、皇帝になるべきと言った人物がいます。

 

今回はそんな魯粛(ろしゅく)と孫権の皇帝エピソードをご紹介しましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魯粛の皇帝になれ疑惑「最初は袁術だった」

魯粛、周瑜、袁術

 

さて魯粛は元々は袁術の所に仕えていました。が、その袁術の支離滅裂な行動に嫌気がさし、見切りをつけて出奔(しゅっぽん)

 

 

その後、色々あって魯粛は曹操(そうそう)配下から「うちに来ない?」と言われてどうしようかなー?と悩んでいる頃、友人だった周瑜(しゅうゆ)を訪ねたことで、周瑜から熱心に「孫権様に仕えるべき!」と言われて孫権配下となったのです。

 

よくよく考えたら最初は袁術様の床にいたんですね……逃がしたんだ袁術様……。

 

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張昭「こいつと友達になるの止めなさい!」

魯粛と袁術

 

そうして周瑜の薦めで孫権に仕えるようになった魯粛。孫権は魯粛を気に入り、二人だけで酒宴を開きました。当時、孫策が急死しててんてこ舞いだった孫権は、魯粛にこれからどうするべきか相談します。

 

それに対しての魯粛の返答は「漢王朝の命運は尽きました。貴方が皇帝になるべきです(ついでに荊州(けいしゅう)も取りましょう)」だったので張昭(ちょうしょう)おじいちゃんもびっくり!

 

とんでもないこという奴が来た!こんな奴信用すんの止めなさい!という始末。

 

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孫権の信を得る魯粛

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まぁちょっと前に袁術が同じようなこと言って周囲からそっぽを向かれたばかり。というか発言として大変に不敬です。なので張昭おじいちゃんが止めるのも分かるのですが、孫権はこれを気に入ったのか、以降は魯粛を信頼するようになります。

 

 

袁術

 

 

考えてみると袁術が言ったことと同じなのに、魯粛が言うと何かえらい頼もしさを感じるのは……人徳と功績の差かな?因みに孫権は「今は漢王室をお救いすることで手が一杯だよー」と返しています(酔ってなかったらしい)

 

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曹操「郭嘉がいれば勝ったもんね!」

曹操

 

 

しかし自体はそう簡単には行きませんでした。この時、()にとって最大の窮地である、赤壁(せきへき)の戦いが始まる前。そう、曹操が南下してきて孫権に降伏するように勧告してきたのです。

 

 

同盟すべきと孫権を問い詰める孔明と魯粛

 

ここで重臣たちが降伏を進める中、魯粛は徹底抗戦を主張。孫権はそれに同調し、魯粛の言う通り周瑜を呼んで、曹操と戦う道を選びました(周瑜も抗戦派)。そして彼らは、見事曹操を打ち破ったのです。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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