三国志とは言いますが、実際には前半は漢王朝の時代です。曹丕が漢王朝から禅譲され、劉備がそれに物申して皇帝になって、それから孫権も皇帝になって、初めて三国志、と言えるのかもしれません。
さてどれだけ権力が地に落ちても漢王朝の時代、皇帝はしっかりいるのですから皇帝をいきなり名乗るとかとんでもないことでした。しかしそんな時代に、袁術ともう一人、皇帝になるべきと言った人物がいます。
今回はそんな魯粛と孫権の皇帝エピソードをご紹介しましょう。
この記事の目次
魯粛の皇帝になれ疑惑「最初は袁術だった」
さて魯粛は元々は袁術の所に仕えていました。が、その袁術の支離滅裂な行動に嫌気がさし、見切りをつけて出奔。
その後、色々あって魯粛は曹操配下から「うちに来ない?」と言われてどうしようかなー?と悩んでいる頃、友人だった周瑜を訪ねたことで、周瑜から熱心に「孫権様に仕えるべき!」と言われて孫権配下となったのです。
よくよく考えたら最初は袁術様の床にいたんですね……逃がしたんだ袁術様……。
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張昭「こいつと友達になるの止めなさい!」
そうして周瑜の薦めで孫権に仕えるようになった魯粛。孫権は魯粛を気に入り、二人だけで酒宴を開きました。当時、孫策が急死しててんてこ舞いだった孫権は、魯粛にこれからどうするべきか相談します。
それに対しての魯粛の返答は「漢王朝の命運は尽きました。貴方が皇帝になるべきです(ついでに荊州も取りましょう)」だったので張昭おじいちゃんもびっくり!
とんでもないこという奴が来た!こんな奴信用すんの止めなさい!という始末。
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孫権の信を得る魯粛
まぁちょっと前に袁術が同じようなこと言って周囲からそっぽを向かれたばかり。というか発言として大変に不敬です。なので張昭おじいちゃんが止めるのも分かるのですが、孫権はこれを気に入ったのか、以降は魯粛を信頼するようになります。
考えてみると袁術が言ったことと同じなのに、魯粛が言うと何かえらい頼もしさを感じるのは……人徳と功績の差かな?因みに孫権は「今は漢王室をお救いすることで手が一杯だよー」と返しています(酔ってなかったらしい)
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曹操「郭嘉がいれば勝ったもんね!」
しかし自体はそう簡単には行きませんでした。この時、呉にとって最大の窮地である、赤壁の戦いが始まる前。そう、曹操が南下してきて孫権に降伏するように勧告してきたのです。
ここで重臣たちが降伏を進める中、魯粛は徹底抗戦を主張。孫権はそれに同調し、魯粛の言う通り周瑜を呼んで、曹操と戦う道を選びました(周瑜も抗戦派)。そして彼らは、見事曹操を打ち破ったのです。
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