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親孝行を被せるとパクリを忘れるお人好し袁術
また、三国志演義では袁術の扱いが……その、元々名君とは全く言えませんが、更に酷いものとなっています。そういう印象が強い中では「袁術に評価された」というのは寧ろマイナス要素だったのかもしれません。
そういう背景もあって陸績がやり込められる役になったのかもしれませんね。しかしそれでも、陸績の親孝行を袁術がきちんと話を聞いた上で評価できる人だった、というのは、忘れないでいたい所です。
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みかんがトラウマになり正直者になる陸績
さて、そんな陸績、見た目が立派で博識多才な人物でした。また正しいと思うことは相手が上の人物であってもはっきりという人でした。それは相手が孫策であっても変わらず、堂々と意見を言うため、張昭は感心していたと言います。
うん、張昭おじいちゃんそういう人好きよね。
また虞翻とは年が離れていても仲良く付き合ったと言います。うん、虞翻そういう人好きだろうね……。
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俺はみかんは酸っぱいから嫌いだなby曹丕
ではでは、最後にみかんと言えば果物、果物と言えばな文帝様のお話。
文帝こと曹丕はみかん(たちばな)を食べて「めっちゃすっぱい。たまにしか甘いのがない(意訳)」と皇帝のお言葉を発しました。よりによって詔です。
しかし陸績がお母さんに持って帰ろうとしたのですから、袁術の所で出たみかんは甘かったのでしょうか?
それとも曹丕がすっぱいみかんが好きでなかっただけかな?
何だか余計なところに意識が行ってしまう、みかんのお話でした。
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三国志ライター センのひとりごと
さてさて筆者はみかんを食べながらこのお話を書いています。筆者も曹丕と同じく、みかんは大きくて柔らかく、甘いのが好きですね!
ですがこれは品種改良が進んだ結果で、昔はみかんはもっと酸っぱいものだった、とも聞きます。そう思うと、今の会食の席に三国志の武将たちを招いたらどうなるでしょうか?
……呉王様だけはノーセンキューかな!
どぼーん!
参考文献:二十四孝
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