袁家三兄弟の末っ子袁尚が後継者問題を起こした理由は幼児だったから?

2022年9月28日


 

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袁尚が後継者問題を起こした理由

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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袁譚に敗れて兄の袁煕と遼東半島まで逃亡

処刑を下す曹操

 

さあ袁家名物かどうかは知りませんが、兄弟喧嘩が始まりました。そもそも曹操(そうそう)がやって来てるのにその対応も碌にしないまま兄弟喧嘩です。

 

で、袁尚が勝ちました。

 

そしてこのままじゃ袁尚に負ける!と焦ったのか、アドバイスに定評のある郭図(かくと)の指示で曹操に降伏した袁譚。結局この後で袁譚は一足先に曹操に処刑されますが、追い込まれた袁尚はもう一人の兄である袁煕(えんき)の元に逃げ込むことに。

 

公孫恭に討たれる袁尚

 

袁煕は袁尚を受け入れるも、配下はそうではなかったようで……兄弟は逃げに逃げた先で更に裏切られ、二人揃って処刑されることになったと言います。

 

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子どもっぽい逸話が多い袁尚

曹操から逃れる袁尚

 

そんな袁尚の数少ないエピソード。

 

・兄と後継者争いで揉めた際に(さい)エンを呼び寄せようとして断られたために投獄する。

・後継者を宣言した後で母親の劉氏に言われて袁紹の寵姫たちを族滅する

公孫康(こうそんこう)に処刑される直前に「寒いから(むしろ)を頂戴」と言って兄、袁煕に窘められると、これくらいしか本人を窺い知れるものがありません。

 

という訳で三国志演義(さんごくしえんぎ)でもあまり良い人物……ぶっちゃけ無能なような人物像で描かれてしまったのですが、ここでちょっと考えてみたい一説があります。

 

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さて、長男である袁譚は青州刺史に任ぜられていました。対して次男である袁煕は幽州刺史(ゆうしゅうしし)に任ぜられています。しかし、袁紹に寵愛されていた、と言われる割に袁尚には特に何の役職に就けられた、とは記録されていないのです……いやまあ後継者にする気だったから何もさせなかった可能性もあるんですが。

 

そしてエピソードがどうにもわがままと言うか、子供っぽいというか。

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

なのでもしかして、袁尚は実はまだ幼子であったのでは?

若武者にされていることが多いけれど、そもそもそれ以前だったのでは?

もしかしたらもしかしてだけど、献帝(けんてい)みたいにただ擁立されて利用されただけだったのでは?

 

という説を考えて見ました。上二人と年が離れていれば袁紹も可愛がっただろうし、手元に置きたがったかもしれません。そしてエピソードの少なさは、彼自身がそれほど成長する前に三国志から退場したから。

 

そう考えると……いやそれにしてもやっぱり、袁家は詰んでいるな……と思った筆者でした。

 

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三国志ライター セン

 

可愛がられていたという割に、袁尚は記録が碌にありません。意図的に省かれた、と言うよりは、そもそもエピソードが収録できるほど長い期間生きていなかった……と考えると、そちらの方がしっくり来る気がしました。

 

そうすると彼を担ぎ上げた周囲がより何とも言えないような存在になってしまうのですが……やはり袁紹の死が、袁家にとって本当に終焉の始まりだったんだな、と思う筆者でした。

 

センさんのとぷんver1

 

どぼーん。

 

参考文献:魏書袁紹伝 後漢書袁紹伝

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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