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袁家三兄弟の長兄袁譚!養子になった男がなぜ後継者争いに口を挟んだのか?

2022年10月8日


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桃園の誓いをする劉備、張飛、関羽

 

三国志(さんごくし)で三兄弟と言うと、劉関張(りゅうかんちょう)の義兄弟のイメージがどうしても強すぎて他が霞んでしまいますが、実は初期にもいる三兄弟、それこそが袁家(えんけ)三兄弟です。

 

とは言え物語によっては殆ど語られることのないままフェードアウトさせられてしまう哀しみを背負ったこの三兄弟。今回はその中でも、長男である袁譚(えんたん)についてお話したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義では全くの無能扱いの袁譚

袁紹、袁尚、袁譚

 

さて、まずはちょっとだけ三国志演義(さんごくしえんぎ)での袁譚に付いて。

 

そもそも三国志演義では袁譚は殆ど出番がないのですが、その数ある出番での印象は「無能」「乱暴」「だから父親である袁紹(えんしょう)から嫌われている」というとてつもなく不名誉なもの。

 

実際に三男である袁尚は幼い頃から顔立ちが良く、優れていたので袁紹からも可愛がられていて、袁紹は内心この三男を後継者にしようとしていた=可愛いからって長男を差し置いて袁紹は無能では?お家崩壊フラグでは?

 

とも言われてしまうのですが、正史の記述ではまた印象が違います。

 

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袁基の養子に入った袁譚

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まず袁譚、後漢書(ごかんじょ)によると袁紹から伯父である袁基(えんき)(袁紹の実兄ではなく、従兄)の養子に出されました。この袁基は安国亭侯の役職を父親である袁逢(えんほう)から受け継いでいました。

 

つまり、そもそも袁紹の後継者から既に袁譚は外されていたのです。どういった理由で袁紹が息子を、それも長男を養子に出したかは分かりませんが、もしかしたら実子に四世三公の名族の、後継者の位置に付かせたかった可能性はありますね。

 

まあ、厄介払いしたかった可能性も大きいのですが……。

 

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評価が分かれている袁譚

 

そして青洲(せいしゅう)を治めることになった袁譚ですが、様子は芳しくありません。

 

「優れた人物がいても上手く用いられず、青洲統治はできていなかった」とかこき下ろされています。

 

ただそれ以前に「青洲刺史・田楷(でんかい)を打ち破った」

 

孔融にお願いをする孔融

 

孔融(こうゆう)にも勝利(逃げられた)」

「年長で優しくて慎み深い人柄」

 

とも書かれていて、決して無能でも粗野で野蛮な性格でもない袁譚の姿もまた記録されているのが面白い所でしょう。

 

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官渡の戦いにも参加していた袁譚

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因みに袁紹軍の大軍が曹操(そうそう)軍と戦うことになった、有名な官渡(かんと)の戦い。やたら父親に嫌われていたとか後継者にしたくなかったみたいな言われ方をする袁譚ですが、何気にこの戦にも参加。

 

また劉備(りゅうび)を受け入れたのは、(かつ)て劉備が袁譚を茂才(もさい)に推薦したという縁があり、これで袁譚は劉備を受け入れ、袁紹も劉備を丁寧に対応したともあり、自らの後継者としては考えていなくても、そこまで粗雑に扱っていた様子も見受けられません。

 

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郭図や辛評に担がれ袁尚と戦う袁譚

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そして袁紹没後から始まる、家臣も参加しての後継者争い。既に別の袁家の後継者になっているなら袁譚は争わなくても良いはずですが……欲が出たか、乗せられたか、そもそも元から弟が気に入らなかったか……?

 

袁尚と対立する袁譚

 

ただしここで袁譚を後継者に推したのは郭図(かくと)辛評(しんぴょう)。一説には彼らと仲が悪かった審配(しんぱい)が袁紹の遺言を捏造して袁尚後継者を押したという説もあり、どうにも後継者争いに配下が出しゃばる袁家。さあ次男を置いてきぼりにして袁家三兄弟の後継者争いの始まりです。

 

まあこの後継者争い、一番得をしたのは曹操だった訳ですが。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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