卞夫人は曹操に愛されている自信があった!心の余裕が産んだ側室への配慮

2023年4月28日


 

 

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北方謙三 ハードボイルドな曹操

 

 

曹操(そうそう)の妻と言えば、それこそ数多くいます。乱世の奸雄(かんゆう)は恋多き男性でもあったのですね……とは言え、その恋大きさ故に嫡男その他諸々を失ったりもしているのですが……。

 

卞夫人 曹操

 

それは置いといて、曹操の皇后と言えば、正室になった卞夫人(べんふじん)。彼女は賢妻であり、賢母でもありました。今回はそんな彼女の他の女性への配慮を見ていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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前の正室、丁夫人との逸話

丁夫人

 

曹操に見初められて妻になった卞夫人ですが、その時の曹操には正室として丁夫人(ていふじん)がいました。丁夫人は卞夫人の出自が気に入らず、きつく当たったようですが、卞夫人は丁夫人に良く仕えました。

 

朝まで三国志 丁夫人

 

それは後に丁夫人が離縁され、卞夫人が正室となった後も変わらず。卞夫人は丁夫人に季節の挨拶などを欠かすことなく、礼儀を持って接し続けました。

 

 

 

丁夫人から感謝されるほどに尽くす

正妃 卞夫人

 

そして丁夫人が亡くなった後、卞夫人は曹操に丁夫人の埋葬を願い出ます。卞夫人の丁夫人への礼節は、その死後まで続いたのです。その気持ちは丁夫人も良く理解したようで、生前に丁夫人は卞夫人に感謝していたと言います。

 

中々夫人間のやり取りと言うのはギスギスしている女の争いが不可欠のように思われますが、卞夫人はあくまで相手に礼節を持って接しました。その本心はどうであったか分かりませんが、それでもここまで誠意をもって接することはなかなかできないことですね。

 

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無駄遣い女、浅ましい女と思われないための配慮

 

そんな卞夫人は自身に関しては倹約家であったとも知られています。ある日、曹操は卞夫人に贈り物をしました。その贈り物は複数ありました。そこから卞夫人は、中くらいの品を受け取りました。

 

「どうしてそれを選んだんだい?」

 

曹操が訪ねると、卞夫人はこう答えました。

 

「高価なものを選べば欲の深い者と思われます。かと言って下級のものを選べば、わざと下のものを選んだと思われるでしょう。なので中級のものを選びました」

 

どうやら倹約家であると同時に、知恵のある女性でもあったようですね。

 

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鍾繇との逸話

鍾繇(しょうよう)と木簡

 

さてそんな卞夫人が後に卞皇后となった頃のお話です。皆さんは鍾繇(しょうよう)をご存知でしょうか。そう、後々に色々なことをやって有名になる鍾会(しょうかい)のお父さんです。

 

荀攸

 

何気に荀攸(じゅんゆう)ととても仲が良く、息子である鍾会を抜きにしても優秀な人物で、色々な逸話も残されています。そんな鍾と、卞皇后、そして曹丕(そうひ)にこんな逸話があるのでした。

 

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正室に嫉妬され毒を盛られる鍾会の母

文臣の最高官位に登る鍾繇(しょうよう)

 

さてさてまだこれは鍾会くんが生まれる前らへんのお話。鍾は晩年、才女である張氏(ちょうし)を寵愛しました。それはもう熱愛です。

 

このため、鍾繇の別の側室であった孫氏(そんし)はお怒りモード。嫉妬のあまり毒殺未遂を起こしてしまいます。この事に激怒した鍾ヨウは孫氏とは離縁し、ますますその愛情は張氏に向かうことになります。そして正室には賈氏(かし)がなりました。(いきなり)

 

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鍾繇は怒って正室を賈氏とチェンジ

 

さて話を整理すると、張氏が鍾繇に愛される余りに嫉妬した孫氏が張氏を毒殺未遂。怒った鍾ヨウは張氏を離縁。離縁された後に正室になったのは賈氏。

 

ローランド風 鍾会

 

そして生まれたのが天才児・鍾会……となりますが、うんえっとそこは張氏が正室になった訳じゃないのかな……?とちょっと疑問もありますが、ここにちょっと卞皇后が出てくるんですね。

 

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卞氏は鍾繇に対し正室を大事にするように忠告

 

どうやら鍾繇は張氏を愛するあまり、正室の賈氏をあまり顧みなかったようで。それを聞いた卞皇后は曹丕に「鍾ヨウに夫人を大事にするように言いなさい」と命じたようです。流石に曹丕も母親に言われたからか、鍾ヨウにそれを伝えています。

 

曹丕を生む卞夫人と曹操

 

これを見るに、自分は他の夫人とは揉めなかった卞皇后。そこにはやはり、曹操自身の卞皇后への配慮と愛もあったのかもしれませんね。だからこそ卞皇后は、どっしりと構えていられたのかもしれませんね。

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

余談ですが、曹丕に言われた鍾ヨウは怒って自殺未遂を起こすというとんでもないオチが付いているのですが……うーん、晩年に恋をすると昔の人も突っ走る傾向がありますね。

 

ともあれ、卞夫人が卞皇后となり、曹操のような恋多き夫と上手くやれたのは、何よりも曹操の愛情があったからだと思います。そう思うと乱世の奸雄、家にて良き夫、だったのでしょうね!

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

どぼーん。

 

参考文献:魏書后妃伝 鍾会伝

 

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三国志ライフ

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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