ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく「ろひもと理穂の三国志・同族ですか?」のコーナーです。
三国志をはじめて読むと同じ姓の登場人物が多くて混乱しますね。例えば「孫」です。
呉の孫堅(そんけん)、孫策(そんさく)、孫権(そんけん)をはじめとして、蜀にも孫乾(そんけん)がいますし、魏にも孫礼がいます。どっちかどっちだっけ?みたいな感じになります。「張」は多いですよ。皆さんは何人くらい名前がいえますか?
張飛、張遼、張昭、張角、張郃、張魯、張燕、張松、張繍、張紘・・・たくさんいますねー。なんと張の姓だけで60人突破してしまうのです。でも、30人の名前が出てきた方は間違いなく三国志マニアですね。ちなみに今は10人を例にあげましたが、この中で同族は誰もいません。同じ張の姓でもまったく関係がないということです。
日本ではどうなの?
という以前に祖先がわからないんですね。しっかり調査したら、もしかすると張飛(ちょうひ)と張遼(ちょうりょう)の祖先は同じなのかもしれません。
姓が「劉」であれば皇族の系統なので、祖先を辿っていくと結びつくでしょう。つまり劉備も劉璋も同族といえば同族なのです。同族から領地を奪うとはひどい話ですね。
日本だと、源氏や平氏の子孫は同族かわかりやすいです。源氏といえば「徳川家」「武田家」「足利家」などでしょうか。平氏では「北条家」「織田家」「伊勢家」があげられます。他にも藤原家も式家や北家などに枝分かれしていきますが、祖先は同じ藤原鎌足(中臣鎌足)ですね。藤原家はさらに「近衛家」「九条家」などに分かれていきます。このあたりは比較的最近の時代なので血統が明らかです。しかし三国志となると2000年ちかく昔のことなので血統が不明な点も多いですね。
黄忠(こうちゅう)と黄蓋(こうがい)は同族?
蜀の五虎大将の「黄忠」と呉の大黒柱の「黄蓋」。二人に共通するイメージは「老人っぽい」「頑固っぽい」という点ではないでしょうか。三国志初心者は二人の区別がほとんどついていないかもしれませんね。
二人は果たして同族なのでしょうか?
タイムマシンでもない限り(もしくはDNA鑑定でもしない限り)、同族かどうかはわかりません。ただ、どこにも同族だとは記されていませんので、親戚関係ではなかったと思われます。物語的には二人に何かしらの繋がりがあると面白いですが、残念ながら見当たらないですね。
黄忠と黄蓋には共通点はあるのか
しかし共通点がまったくないというわけではありません。「老黄忠」というあだ名を持つ黄忠は弓の名手といわれています(あくまでも三国志演義の脚色ですが)。
「定軍山の戦い」では曹操軍の総大将・夏侯淵を討った功労者です。
一方の黄蓋はあの有名な「赤壁の戦い」で「苦肉の策」を用いて曹操を破った功労者です。偽りの投降の際に乗っている船に火を放ち、そのまま曹操の船団に突っ込んだのは有名な話です。黄蓋は英語ではHuang Gaiですね。つまり、曹操軍を破ったという点において共通項があるわけです。曹操側にしてみれば「黄」の姓は疫病神に見えたかもしれませんね。後漢のシンボルカラーが「赤」であり、五行思想では次に天下を治めるのは「黄」になりますから、曹操としてはそれでも「黄」を邪険にはできなかったかもしれません。
三国志ライター ろひもと理穂のまとめ・三国志
実は二人は、出身が「荊州」という点で共通しています。黄忠は荊州の「南陽郡」出身ですし、黄蓋は荊州の「零陵郡」出身です。南陽と零陵では同じ荊州でも東京都と大阪府以上離れていますが、もしかしたら祖先を辿っていくと同じ祖先に行き着くのかもしれません。どうなんでしょうか。はっきりと二人の違いがわからない方は、赤壁の戦いまでに活躍したのが呉の黄蓋、その後に活躍するのが蜀の黄忠だという区別するとわかりやすいのではないでしょうか。
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