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コネ男・劉備から学ぶ人脈作り!コネクションの活かし方をコッソリ教えちゃいます!【ビジネス三国志】

2016年4月27日


劉備

 

日本においては、コネには悪いイメージがつきがちです。

癒着とか、慣れ合いとか、およそ、明るいイメージがありません。

しかし、本来コネとはコネクションの意味であり、

仕事をやりやすくする為の円滑な人間関係づくりの事なのです。

さて、三国志において、コネで運を掴んだ男に劉備玄徳がいます。

現在でも通用する劉備のコネの活かし方を紹介しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備は単純に遊び呆けていたのではない?

公孫攅と劉備

 

劉備(りゅうび)と言えば、故郷の先輩、盧植(ろしょく)に師事しながら

幽霊学生と化し遊びに興じて、ろくに勉強もせずに狗や馬、音楽に

美々しい服を着て遊興し、後の群雄・公孫瓚(こうそんさん)などと

親しく交わったと史書にはあります。

 

ちょっと見ると、どうしようもない遊び人に見えますが、

本当にそうなのか?を考えると疑問符がつきます。

 

狗や馬や音楽は当時の社交の場だった

若かりし劉備 チャライ★

 

狗とは闘犬の事で、馬は馬車レース、

音楽は今でいう企業の様々なイベントというのが正確かも知れません。

そこは、賭け事の場でしたが、同時にアウトローや各界の名士が集まる

社交場でもあったのです。

 

劉備でなくとも、袁術(えんじゅつ)にしろ、袁紹(えんしょう)にしろ、

曹操(そうそう)にしろ、若い頃は素行を治めずに、このような娯楽場に

入り浸ったという表記がされますが、

そこは、同時に社交場だったという事も見逃せません。

 

袁紹などは、仕官の話があっても辞退して、将来の宦官皆殺すマン

備えて、壮士を雇っていたという記録がありますが、

そのような命知らずの鉄砲玉も、闘犬場や馬車レース場では、

手に入れる事が出来たようです。

 

劉備は学生の分際で、美々しい服を着て、そんな場所に出入りして、

腰低く、身分の違いを気にしないで、交友を求めていますから、

単純に遊んでいたのではなく、広く幽州の人士に名前を売っていたのです。

 

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劉備の行動は、有名人のセミナーに顔を出しているようなモノ

三国志大学 劉備

 

劉備の行動は今でいえば、有名人が主催するセミナーに、

積極的に出て、名刺交換をするのと同じです。

そのセミナーが本当に為になるかより、そこにどんな人が集まるか?

というのが、セミナーを活用する人の関心事なのです。

注意深く見ていれば、そこかしこで名刺交換と、

挨拶が繰り広げられている事に気がつくと思います。

 

実際に、個人事業主の場合には、仕事を斡旋してくれるのが、

そういうセミナーに参加して培った人脈だったりもします。

一見、高い参加料を払うセミナーに参加する人が多いのは

実際には、そういう理由なのです。

 

パトロンを得て、傭兵団長になった事が劉備の人生を決める

朝まで三国志 劉備

 

劉備は、このような顔の売り込みの結果、

商人の張世平(ちょうせいへい)、蘇双(そそう)に気に入られ、

千金という大金を融資されます。

劉備は、この金で自分を慕ってついてきた少年を集めて、

最初の傭兵集団を作り上げる事に成功します。

TEAM劉備の旗揚げの瞬間です。

 

劉備 桃園

 

折りは、黄巾賊が挙兵して、天下が騒乱状態の時期で、

この時のお金で、劉備は、初期メンバー、簡擁(かんよう)や

孫乾(そんかん)、そして張飛(ちょうひ)関羽(かんう)

雇いいれたのでしょう。

 

こうして、劉備は校尉鄒靖(すうせい)の黄巾賊討伐に

義勇兵の団長として参加してなんらかの(?)手柄を立てて、

安喜県尉(あんき・けんい)に任命されます。

 

今でいえば、あちこちの社交場に顔を出して、個人的に親しくなった

投資家の家に遊びに行き、ベンチャーの立ち上げをするので、

融資をお願いしたいと説いて回るのに似ています。

 

ここまで漕ぎつけるには、何件のパトロンを巡ったか分かりませんが、

この時に自前の傭兵団を作り上げた事は、後の劉備の運命を、

大きく変えていきます。

 

ヒラの兵士ではなく、最初から小なりとは言え、

傭兵団の長ですから官軍の扱いが違ったのです。

 

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上司をシバいた罪を帳消しにする劉備のコネ活用法!

劉備 黒歴史

 

めぼしい手柄をあげて、安喜県尉(村の警察署長)になった劉備ですが、

ここに、皇帝から派遣されたリストラ勧告の専門職である督郵が来ます。

劉備はご機嫌を伺いに行きますが、すでに督郵は劉備をリストラすると

決めていたので、会おうともしませんでした。

 

督郵が自分をクビにするつもりだと知った劉備は逆上して、

職権を濫用し、偽命令で督郵を逮捕して縛り、杖で叩いて逃亡します。

 

上司を偽命令で逮捕した上に杖でシバくという、

本来なら、お役人としては、ここで人生が詰むどころか、

逮捕されて刑務所送りの重罪ですが、

ここから劉備のコネパワーがさく裂します。

 

大将軍、何進(かしん)の命令で黄巾賊討伐にやってきた

都尉の毌丘毅(かんきゅうき)が丹陽にやってくると、

劉備は、何らかのコネがあったのか、毌丘毅と共に、

徐州の下邳に移動して、黄巾賊に遭遇しこれを撃破して、

下密(かみつ)県の丞(県令の補佐)になっています。

 

毌丘毅という人物は、蜀書、先主伝のこの部分にしか登場しないので

どういう人物か分からないのですが、恐らく、以前に、黄巾賊討伐に

参加した劉備と面識があったのでしょう。

 

朝まで三国志 劉備

 

「実は、督郵をシバいてしもうて、行くところが無いんですわ

どうか、将軍、わてを使ってもらえんでしょか?」

 

「なに?しょうがない奴じゃな、、よし分かった、わしと共に、

黄巾賊討伐に加わって手柄を立てよ、そしたら、上役に上手く言って

また、役人として使ってやるから」

 

おそらく、このようなやり取りがあり、劉備は刑務所送りを

免れ、逆に役人として返り咲きます。

これも、ぬかりなく、色々な人に面通しをしていた劉備ならではの、

逆境克服術だと言えるでしょう。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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