100万の黒山賊を崩壊においやり、戦上手の曹操を
散々に苦しめた戦の天才呂布。
乱世の申し子のように、裏切りを繰り返し本能の赴くままに時代を渡ってきた
人中の鬼人にも最期の時が迫っていました。
場所は劉備を追い払い乗っ取る事に成功した徐州の州都下邳城。
ここでの戦いは、ある意味、呂布の人生を凝縮させたようなものでした。
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この記事の目次
徐州領有から下邳の戦いまでのあらすじ
西暦195年、兗州攻略戦で曹操に敗れた呂布は、
当時、陶謙から徐州を譲り受けたばかりの劉備の元に転がり込みます。
後漢書の記述では、袁術からの寝返りを誘う書状が届くと
呂布は恩知らずぶりを発揮し劉備の背後で挙兵、袁術と呂布に挟まれた劉備は
やむなく呂布に降伏します
ところが、呂布は劉備を殺す事はなく、袁術との緩衝材として使いました。
呂布が思惑通りに操れないと見た袁術は呂布の謀臣、陳宮と計って
これを暗殺しようとしますが失敗したと後漢書の記述にあります。
劉備は、ひそかに徐州を取り返そうと豪商、麋竺の援助で兵1万を集めますが
事前に情報を掴んだ呂布は、これを攻撃して撃破、劉備は曹操を頼り逃亡します。
呂布暗殺に失敗した袁術は、今度は婚姻関係を結ぼうと息子の袁耀との
縁談を持ち掛け当初、縁談に大乗り気の呂布でしたが、陳珪の説得で変心、
袁術の使者、韓胤を捕えて曹操に送り斬殺させます。
これに怒った袁術は張勲を大将に3万の軍勢を徐州に送り込みますが
呂布は、またしても陳珪の助言で袁術軍を撃破し危機を脱しました。
その後、呂布は臧覇や蕭建のような周辺の勢力を併合しますが、
気まぐれな性格は変わらず、名将高順との間に不協和音を起こしています。
198年、呂布は再び袁術と結び、小沛に駐屯していた劉備を攻撃して撃破、
劉備の援軍としてやってきた夏侯惇も撃破して小沛を勢力下に入れますが
事態を重く見た曹操は呂布討伐を決意しました。
初動から優柔不断が目立つ呂布の戦い
強力な曹操軍の前に呂布は苦戦を強いられ、連戦連敗しました。
いよいよ本拠地である下邳に曹操が迫ると曹操は呂布に降るように勧告します。
元々遊牧民気質で、土地を死守する事に関心がない呂布は
ホイホイと降伏しようとしますが、曹操を裏切って後がない陳宮は猛反対
呂布が城を出て曹操の補給を遮断し、自分が下邳城で守備すれば、
遠征をしていて食糧に乏しい曹操は引き上げると進言します。
呂布は、陳宮の進言を容れて曹操の降伏勧告を蹴りました。
ところが、陳宮のプランを実行しようとすると呂布の妻が反対しました。
陳宮は元々、曹操の寵臣であり、呂布が城を出て戦えば、
城を乗っ取り、そのまま曹操に降伏するのではないかと言うのです。
また、守将の高順と陳宮の仲は険悪で、曹操を相手に共同して
それを防げるか微妙な所がありました。
こうして呂布は行動に出る事が出来ず、ただ曹操の降伏勧告を蹴り
下邳城に籠城しているだけになりました。
呂布は貴重な初動で、何の判断も下せなかったのです。
最後に袁術を頼るも袁術も末期の状態
曹操の大軍が迫る中で呂布は、袁術の援軍を得ようと千余騎を率いて城を出ますが
激しい攻撃にさらされて包囲を突破できず、城に戻りました。
しかし、実際には呂布が袁術に援軍を要請しても、すでに末期症状の袁術に
呂布を救う力は無かったと言われています。
結局、こちらも無駄に被害を出すだけに終り、以後、呂布は降伏するまで
城を出る事はありませんでした。
曹操は全力を挙げて下邳を攻撃しますが、城は頑強で簡単には落ちません。
連名して水攻めを進言したので、沂水と泗水から水を引いて
下邳城を水没させました。
断酒をした八つ当たりで部下に怒鳴り散らし離反される
曹操の水攻めは3か月以上も続きました。
呂布の側に打つ手はなく、兵糧も乏しくなり次第に城内に諦めと、
嫌戦気分と猜疑心が膨らんで士気が低下していきます。
そんな中、呂布は何かのゲン担ぎで断酒をしていたようです。
呂布の騎将の侯成は、その頃、客人に馬の放牧を任せていましたが、
その客人は戦争は呂布の負けと考えて、十五頭の馬を引き連れて
城を脱出し小沛の劉備に降伏しようとしました。
これを知った侯成は、すぐに追いかけて首尾よく馬を取り返します。
遊牧民にとって馬は財産です、それを取り返すのはビッグニュースだと
諸将は大喜びし、侯成に贈物をし酒を醸造して狩猟を行い、
猪を十数匹も得て、大宴会をやりました。
侯成は、呂布に対して「首尾よく馬を取り返せたのも将軍のお陰です」と
この時に醸造した酒を献上しています。
たったこれだけの話ですが、断酒をしていた呂布は機嫌がmaxに悪く、
酒を勧めた侯成を激しく罵倒したのです。
「俺が断酒しているのに、お前達は酒を造って大宴会をするのか?
そうか!そうして諸将で兄弟の契りを交わして、俺を打ち殺すつもりか!
上等だ、やれるものならやってみろコノ野郎!」
怖れた侯成は酒を捨てて謝罪しましたが、内心大きな不満を抱きました。
侯成(お前の断酒なんか俺が知るもんか!こっちが善意で酒を勧めりゃ
ボロクソ貶しやがって、共謀して俺を打ち殺すかだと?
ちきしょうめ、だったら望み通りにしてやろう)
手土産に、陳宮と高順を捕えて縛り、城門を開けて曹操に降伏しました。
呂布は自分の気まぐれの為に部下に叛かれたのです。
呂布の男気 俺を縛って曹操に差し出し手柄にしろ
城門が開き血族ともいえる侯成、魏続、宋憲が降伏する様子を呂布は
城の上から眺めていました。
後漢書によると呂布は最後にボスらしい振る舞いを見せています。
「おし!戦はこれまでだ、お前ら俺を縛って曹操に突きだすがいい
そうすりゃ、助命どころか褒美が貰えるかも知れんぞ」
こうして、自分を守る兵に自分の捕縛を命じたのです。
しかし、これまで呂布に付き従ってきた兵士達は、呂布の痛々しさに
捕縛するに忍びなく、ついに呂布の命令を実行できませんでした。
なんとも清々しい、常に戦場で命のやり取りをしてきた武人らしい
正々堂々とした態度だと言えます。
最後まで生きる事を諦めなかった呂布・・
部下が縛らなかったので、呂布は仕方なく自分で曹操に降伏します。
こうして曹操の兵に捕縛された呂布は曹操の前に引きだされるのです。
曹操「呂布、どうしてお前はわしに敗れたのだ?」
呂布「さてな、、部下が恩知らずだったからだろうぜ、俺は連中を厚遇した
なのに連中は俺が窮地に陥ると俺を売り飛ばしたんだ」
曹操「お前は、自分に妻がありながら部下の妻にも手を出したとか
それのどこが厚遇なのか?」
呂布は沈黙して何も答えなかったそうです。
しかし、女癖に関して曹操が偉そうに言えるのでしょうか?
ですが、ここから呂布は生きる執念を見せます。
曹操に自分の武力への未練がある事をあざとく見抜き、
捨て身の売り込みに出たのです。
呂布「将軍よ、あんたが俺を捕えたのは天下の幸いだと言えまいか?
あんたを悩ました唯一の憂いは、これで永久に取り除かれたのだ
どうだ?これであんたが歩兵を率いて、俺が騎兵を率いれば、
この天下は平定されたも同じ、慶賀すべき事だろう?」
曹操の顔色に戸惑いの表情が浮かびました。
兗州で、呂布の武力に煮え湯を飲まされても、同時にその武力に
魅力を感じていた曹操は、その心の隙を呂布に突かれたのです。
(勝った!)内心でガッツポーズの呂布ですが、
その優位は近くにいた劉備の一言で打ち砕かれました。
劉備「将軍、騙されてはいけません、呂布が養父の丁原を斬り
義理の父と呼んだ董卓を殺したのをお忘れですか?」
呂布「黙れ!大耳野郎、お前こそ信用できんのだ!」
すかさず切り返す呂布ですが、曹操は劉備の一言で目が覚め、
呂布の処刑を命じました。
捨て身の売り込みは、劉備によって阻止されたのです。
首を斬られる事を拒否し絞首刑にされた呂布
縛られているとはいえ、やはり呂布は呂布でした。
首を斬り落とそうとする曹操軍の兵士に必死に抵抗して大暴れし
とても斬首するどころではありません。
手に余った曹操は、呂布の首に縄を掛けて左右から引っ張り、
ようやくの事で呂布を絶命させたようです。
どこまでもどこまでも本能と野望のままに生きようとした呂布は、
こうして、壮絶な人生の幕を下ろします。
呂布は恩知らずの卑怯者と評価される事が多いですが、
実際は自分の身内や意気投合した人は厚遇し、素朴な正義感を持っていたりと
ただ軽薄なだけの冷血な人物ではありません。
人中の鬼人呂布のラストウォー下邳の戦いを紹介
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