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華雄の最期とは?董卓軍の猛将はフェードアウトがあっさりすぎる?

2019年10月21日


 

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華雄(かゆう)

 

華雄(かゆう)は後漢(25年~220年)末期の将軍であり董卓(とうたく)の部下です。初平元年(190年)に諸侯が董卓討伐のために洛陽に殺到した時の指揮官に抜擢されますが、その時に討伐軍に討たれました。

 

呉の孫堅

 

正史『三国志』では孫堅に討たれており、描写も素っ気ないですが小説『三国志演義』では豪傑として描かれており討伐軍を苦しめました。しかし、やはり最期は討伐軍に討たれます。そこで今回は小説『三国志演義』をもとに華雄の最期について解説します。

 

自称・皇帝
当記事は、
「華雄 最期」
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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第1ラウンド 鮑忠を討つ

曹操と夏侯惇

 

初平元年(190年)に曹操は董卓討伐のために挙兵して洛陽に向かいます。袁紹(えんしょう)袁術(えんじゅつ)孫堅(そんけん)も挙兵しました。討伐軍は先鋒に孫堅が選ばれて最初に汜水関を攻めることにします。

 

董卓(君主論)

 

報告を聞いて慌てたのは董卓。すぐに前線である汜水関の将軍に豪傑である華雄を抜擢します。華雄は身長が210センチもある大男。バスケットかバレーの選手ぐらいの身長です。

 

鮑信と曹操

 

出陣した華雄は早速、奇襲を仕掛けようとした鮑忠を討つことに成功します。鮑忠(ほうちゅう
)
は後に曹操と一緒に青州黄巾軍と戦って戦死した鮑信(ほうしん
)
の弟です。孫堅が先鋒にされたのが面白くなかったので抜け駆けを企んで奇襲をしたのですが、華雄に先読みをされて討たれました。

 

第2ラウンド 孫堅撃退

海賊を討伐する孫堅

 

スタートが良い華雄でしたが、第2戦目は簡単にいきません。孫堅は海賊・黄巾軍などの討伐で名を挙げてきた男。一筋罠ではいかずに副将の胡軫(こしん
)
を孫堅軍の程普(ていふ
)
に討たれました。このまま一気に華雄はやられてしまうのでしょうか?ところが、華雄は運に恵まれていました。

 

亡くなる孫堅

 

孫堅と連携していた袁術が彼の功績を妬んで兵糧提供を拒否!兵糧が届かない孫堅軍は腹が減って力が出ません・・・・・・それに気付いた華雄は急いで夜襲開始!やむを得ず撤退の孫堅!この時、孫堅配下の祖茂(そも
)
が孫堅を逃がすために討ち死にしました。

 

第3ラウンド 華雄、関羽に敗北

袁術

 

孫堅を撃退して意気揚々の華雄は進撃開始!袁紹軍本隊まで迫りました。袁術は急いで配下の猛将である兪渉(ゆしょう
)
を出陣させます。

 

紀霊

 

紀霊(きれい)を出陣させるのが妥当だと思いますけど・・・・・・案の定、兪渉はすぐに華雄により討たれました。次は韓馥(かんふく
)
配下の潘鳳が出ていきますが、彼も華雄の餌食になりました。

 

顔良と文醜

 

顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう
)
を連れてくればよかった・・・・・・」と袁紹は嘆く始末。何で2人を本拠地に置いてきたのか疑問ですね。

 

関羽と張飛と劉備

 

するとその時、「私が行きましょう!」と勇ましく登場した男が1人。立派なヒゲを胸元まで生やしており、手には青龍偃月刀を持っています。ちょっと強そうなので諸侯は期待しました。

 

「誰だね、君は?」とみんなが尋ねると、「関羽と申します。公孫瓚殿のもとで弓隊の隊長をしています」

 

怒る袁術

 

それを聞いた袁術は、「弓隊の隊長が諸侯の前に出るなんて恥を知れ!さっさと帰れ!」と怒鳴り散らします。諸侯も関羽の身分を聞いてがっかり。周囲は負けムード全開。

 

曹操と羊と蚊

 

だがその時、「皆さん、待ってください」と曹操が呼び止めます。

 

「それだけ腕に自信があるのなら、行かせればよいじゃないですか。討たれても弓隊の隊長1人がやられた程度と考えればよいだけです」

 

肉を食べる曹操

 

言われてみればその通りと感じた諸侯は関羽に出陣許可を出します。曹操は関羽に出陣前の熱燗(あつかん)を用意しました。ところが関羽は「帰ってからで結構です」と断って騎馬で出陣します。

 

関羽VS華雄

 

諸侯は逃げ帰るか、殺されるに決まっていると最初から決めていました。しばらくすると関羽が戻ってきました。

「やっぱり戻ったじゃないか」と落胆している諸侯の前に何かが投げ出されました。何か分からずによく見ると、それは華雄の首でした。

 

酔っ払う関羽

 

「お約束の通り首は持ってきました」と言った関羽は曹操が用意してくれた熱燗に手を伸ばして飲み干します。

 

酒はまだ熱がこもっていました・・・・・・

 

三国志ライター 晃の独り言 飲酒で乗馬は犯罪?

三国志ライター 晃

 

こうして董卓軍の猛将である華雄は、まだ無名の関羽に、あっさりと討たれて戦死します。正史『三国志』では無名に等しい華雄でしたが、『三国志演義』のおかげで人々に名が知れ渡ることになりました。

 

関羽千里行 ゆるキャラ

 

余談ですが現在の日本の法律では飲酒で乗馬することは飲酒運転と一緒になります。

 

関羽の一騎当千

 

馬は軽車両と同じ扱いにされているからです。もし関羽が飲酒して華雄を討つ話になっていたら、現在の出版・アニメの業界だとその話は削除か改訂される可能性もあったかもしれません。

 

羅貫中と関羽

 

『三国志演義』の著者である羅貫中には話を上手に作ってくれたことに、感謝しないといけません。

 

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※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。

華雄が好き、または関羽が好きな人はコメントをお待ちしています。

 

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