三国志の世界を描いた書物として、正確な歴史書として編纂されたものが『正史三国志』、後世の脚色がかなり入っているものが『三国志演義』となります。
当然、武将の強さのインフレーションが過激なのは『演義』のほうです。また、日本でなじみのある三国志の物語も、だいたい『演義』を下敷きにしています。いっぽう『正史』のほうはリアルな記録なので、一人で何十人もなぎ倒す怪力やら、天気をも変える呪術やらといった、おおげさな話は出て来ません。
それゆえ、『演義』を下敷きにした物語に慣れている人が『正史』を読むと、なんだかキャラクター全員がおとなしく感じられてしまいます。
しかし、例外もあります。『演義』の展開では凡将扱いなのに、『正史』を見ると「あれ?凄い人では?」と驚くような名前がいくつかあるのです。魏の楽進は、その代表格ではないでしょうか?
この記事の目次
『演義』のせいで流布している楽進のイメージは?
そもそも「楽進」という名前を聞いて、何をやった人か思い出せる人が、どれだけいるでしょうか?
「そういえば曹操軍にそんな名前の武将がいたなあ」くらいではないでしょうか。
ところが面白いことに、三国志ファンの間では、
「みんな楽進が何をやった人かは思い出せない」のに、
「楽進の名前だけはみんな覚えている」という状況ではないでしょうか?
それもそのはず『演義』における楽進は、特に初期の曹操軍において、とにかく「あちこちに出てくる」キャラクター。
「さてこの戦いで曹操が派遣したのは、〇〇と、××と、楽進であった」とか、
「このとき、会議に参加していた武将の中でも、△△と、□□と、楽進が、曹操の方針に賛成の意見を出した」とかいった感じ。
ありとあらゆる場面に「そこに楽進もいた」と出てくるので、
「きっと、そこそこくらいには、使える人材だったのかなあ?」程度の印象が流布していると思います。この、「そこそこ使われている曹操の部下」くらいのイメージが、『演義』が読者に植え付けた楽進のイメージではないでしょうか?
『正史』における楽進の連戦連勝ぶりが半端ない!
ではここで、『正史』のほうを確認してみましょう。まず『正史』においては、「張遼伝」とか「張郃伝」とかいったビッグネームの「列伝」の中に混じって、しっかりと「楽進伝」という一章が設けられています。
そこに書いてあることをまとめていくと、だいたい、以下のとおり。
・濮陽における呂布との戦いで、一番乗りの手柄を立てた
・雍丘の戦いでも一番乗りの手柄を立てた
・南皮における袁紹軍との戦いでは、一番手として城門を突破した
・沛にいた頃の劉備を攻略するときに派遣され、劉備の部下の将たちをさんざん討ち取った
・荊州にいた頃の劉備を攻略するときにも派遣され、関羽の部下の将たちをさんざん討ち取った
・合肥の守りを任され、孫権軍をたびたび撃退し、孫権の部下の将たちをさんざん討ち取った
これが現代の新卒社員の履歴書だとしたら、どうでしょう?
「ほう!あなたは呂布とも袁紹とも劉備とも孫権とも戦ったことがあり、ことごとく手柄を立てているのですか?すごいじゃないですか!」と面接で絶賛される経歴ではないでしょうか?
戦った相手の華々しさだけではなく、対呂布戦も、対袁紹戦も、対劉備戦も、対孫権戦も、それぞれの時期の曹操が激しく天下を争った好敵手ばかり。初期曹操軍の重要な戦いすべてにおいて華々しい功績をあげているのですから、楽進がどれだけ重要な貢献をしていたか、よくわかります。
とりわけ、この連戦連勝ぶり!武将の経歴として、文句のない白星記録ではないでしょうか?
『正史』楽進伝の華やかな記録には実は文句のつけどころが!
『正史』においてこれだけ無双状態の楽進が、どうして『演義』ではイマイチな存在感なのでしょう?
何か理由があるのでしょうか?
ハイ、ありますよね。カンのいい方なら、さきほどの経歴を読んでいる間に、もう気づいてしまっていることと思います。
「劉備の部下をたくさん討ち取った」
「関羽の部下をたくさん討ち取った」
「孫権の部下をたくさん討ち取った」
楽進の不運なのか、それとも彼の役目がそういうものだったのかは、わかりかねますが、これだけすべての戦いに参加していながら、有名人との「直接対決」が見事に一度も、ないのです。
「劉備の部下をたくさん討ち取った」みたいなことはたくさん書いてあるのですが、「討ち取った相手は誰だった」という明記があまりに少ない。よく『正史』の楽進伝を読むと、たまに「この戦いでは敵の大将〇〇を討ちとった」という文もサラリと紛れているのですが、それを拾ってみたところで、以下の通り。
・袁紹軍の将軍である淳于瓊を討ちとった
・袁譚軍の将軍である厳敬を討ちとった
やっと名前のある敵を倒した話が書いてあると思ったら「なんだ淳于瓊か」とがっかりするのでは?(淳于瓊には失礼ながら)
後者にいたっては「そもそも厳敬って誰?」というヒトコトが思わず口から洩れる方が多いのではないでしょうか?
まとめ:名のある武将を斬っていないキャラには冷たい『演義』の犠牲者
そうなのです。
『演義』においては、武力系のキャラクターは、誰か名前のあるキャラを一人でも斬ってこそ、活躍のシーンが与えられるという運命があるのです。
『正史』でこれだけ活躍している楽進も、名前のある敵との華やかな対決がないため、派手さ重視の『演義』ではとことん活躍を省略されるという憂き目にあったのでした。
三国志ライター YASHIROの独り言
そんな『演義』の中であっても、ありとあらゆる場面で「そこに楽進もいた」と名前だけは出てくるところは、『演義』の作者である羅貫中も楽進を完全無視することはできなかった模様です。
でもリアルな現実の歴史では、本当に曹操軍にとって貴重な役割を担っていたのは、楽進のような人だったのかもしれません。そんな気になってきた方は、今回の記事をぜひ、楽進という男の再評価のきっかけにしていただけると嬉しいです!