故事成語のお話「諸葛亮も感動した、三顧の礼」

2021年3月24日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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曹操と荀彧の三顧の礼

 

昔、中国であった出来事から生まれた教訓、故事成語。こういった故事成語は生まれた経緯も含めて面白いものです。そこでいくつか紹介したいと思いますが、今回はその中から、三国志の中でもトップクラスの有名故事成語、三顧の礼(さんこのれい)についてご紹介していきましょう。

 

三顧の礼のスタート

三顧の礼 ゆるキャラ 孔明

 

三国志に出てくる故事成語の中でも一、二を争う知名度の故事成語、三顧の礼。それは三国志の英雄の一人、劉備(りゅうび)が諸葛亮(しょかつりょう)の元を訪れて勧誘した時に生まれた故事成語です。

 

人質にされる徐庶の母親

 

劉備が諸葛亮の元を訪れて勧誘するまでのエピソードとして、元々劉備に仕えていた徐庶(じょしょ)が劉備の元から離れる際に諸葛亮を推薦したという話が有名ですね。この推薦を受けて劉備は諸葛亮の元を訪れることになります。

 

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訪問面接(?)

孔明

 

諸葛亮は当時としても有数の有能な人間でしたが、その優秀さを見抜いている人間もまた少なく、当時は誰にも仕官せず毎日を過ごしていました。

 

諸葛瑾に無茶振りを言う孫権

 

筆者はお兄ちゃんの諸葛瑾(しょかつきん)が孫権(そんけん)の所で好待遇で迎えられていたので特に働かなくても何とかなったのかなーとか思っています(偏見)。そんな誰とも知れない人物であった諸葛亮の所に来たのが劉備、今で言うならそこそこ名前が知れた会社の方からごく普通の人物をスカウトに来たのですが、諸葛亮はこれを断ります。

 

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何度も何度も訪れること(違います)

3000人の配下で孔明の庵を包囲する武闘派な劉備

 

しかしそれでもなおめげずに劉備は諸葛亮の所を訪れてはスカウトを繰り返しました。訪問も三回目になり、諸葛亮は劉備に仕えることにしました。ここから「三顧の礼」が生まれたのです。この事から「目上の人が目下の人に礼儀を尽くして迎えること」を三顧の礼と言います。当時の身分差や礼儀を考えるとこれは凄いことであり、そこまでして迎え入れられた諸葛亮、そしてそこまでして迎え入れた劉備も凄い人物だと思います。

 

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出師表にも出てくる

孔明による出師の表

 

この三顧の礼は正史三国志において、もう一度出てきます。それが諸葛亮が書いた「出師表(すいしのひょう)」です。「先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激、許先帝以驅馳」これは「先帝は私の身分が卑しいものであるにも関わらず、何度も頭を下げ、三度私の元を訪れて下さいました。

 

孔明

 

私はこれに感動して先帝にこの恩返しを致すこととしたのです」と言った感じになります。この記述から如何に諸葛亮が劉備の行動に感動していたのかが分かりますね。

 

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改編在り

三国志演義_書類

 

因みにこの三顧の礼、三国志演義にも出てきます。ただし三国志演義では少し改編があるのが特徴。

 

孔明の留守宅の壁に長々と漢詩を書いて汚す劉備

 

劉備が諸葛亮の所に行く際に関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)も付いていくのですが、この時諸葛亮は昼寝をしていました。しかし劉備は諸葛亮を気遣い、起きるまで待つことにしました。これを知った張飛は「兄者を昼寝をして待たすとは!」と怒り心頭、家に火をつけようとして……と、劉備の人の良さと同時に張飛の乱暴具合も表してしまうエピソードになっています。

 

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「諸葛亮が言ってるもん!」

諸葛孔明を自分のもとに入れたくて堪らない劉備

 

またこの三顧の礼のエピソード、魏略(ぎりゃく)にも乗っています。ですが魏略では諸葛亮が劉備の元を訪れていた、という話になっているのがポイント。これでは三顧の礼は本当にあったのか、という話になってきてしまいますね。

 

主観が入りまくりな裴松之

 

ただしこのエピソードについて裴松之先生が「諸葛亮が自分で何回も訪れたって言ってるでしょ!諸葛亮が言う方が正しいの!(意訳)」と書いており、事実のはっきりした所は分かりませんが、三顧の礼は実在した……!ということにしておきましょう。

 

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三顧の礼の伝えたいこと

釣りをしている太公望(老)

 

個人的に三顧の礼については、劉備が訪ねていても諸葛亮が訪ねていてもどちらでも良いと思っています。劉備の三顧の礼は、嘗て文王(ぶんおう)が太公望(たいこうぼう)と出会った際に礼を尽くして接したことに倣った、ということだという話もあります。つまり劉備が訪れた、三回訪ねたことが本質として重要なのではなく、目上の人が目下の人に礼儀を持って接したことこそが重要なのであり、それはどちらが訪れたのか、回数なのかが重要ではないのです。

 

新解釈・三國志 三顧の礼に秒で答える孔明 孔明、劉備

 

大切なのは礼儀を持って接したこと、だから諸葛亮もその礼に尽くしたのでしょう。そしてその故事成語は、今もなおそのエピソードと共に親しまれているのですね。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

三顧の礼は、日本でも豊臣秀吉と竹中半兵衛(たけなかはんべえ)の間にあったエピソード……と言われています。ただこちらはあくまで創作、とも言われていますね。

 

竹中半兵衛(軍師

 

しかし実際に秀吉が半兵衛の元を何度も訪れたかはともかく、半兵衛もまた諸葛亮のように秀吉に礼を尽くしてもらったことから礼を返したのでは……と思っています。実際はどうだかは分からないけれど、その方がロマンがあるからそっちを信じたい、というのが筆者の本音ですね。

参考文献:蜀書諸葛亮伝 魏略

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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