昔、中国であった出来事から生まれた教訓、故事成語。こういった故事成語は生まれた経緯も含めて面白いものです。そこでいくつか紹介したいと思いますが、今回はその中から、三国志の中でもトップクラスの有名故事成語、三顧の礼についてご紹介していきましょう。
この記事の目次
三顧の礼のスタート
三国志に出てくる故事成語の中でも一、二を争う知名度の故事成語、三顧の礼。それは三国志の英雄の一人、劉備が諸葛亮の元を訪れて勧誘した時に生まれた故事成語です。
劉備が諸葛亮の元を訪れて勧誘するまでのエピソードとして、元々劉備に仕えていた徐庶が劉備の元から離れる際に諸葛亮を推薦したという話が有名ですね。この推薦を受けて劉備は諸葛亮の元を訪れることになります。
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訪問面接(?)
諸葛亮は当時としても有数の有能な人間でしたが、その優秀さを見抜いている人間もまた少なく、当時は誰にも仕官せず毎日を過ごしていました。
筆者はお兄ちゃんの諸葛瑾が孫権の所で好待遇で迎えられていたので特に働かなくても何とかなったのかなーとか思っています(偏見)。そんな誰とも知れない人物であった諸葛亮の所に来たのが劉備、今で言うならそこそこ名前が知れた会社の方からごく普通の人物をスカウトに来たのですが、諸葛亮はこれを断ります。
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何度も何度も訪れること(違います)
しかしそれでもなおめげずに劉備は諸葛亮の所を訪れてはスカウトを繰り返しました。訪問も三回目になり、諸葛亮は劉備に仕えることにしました。ここから「三顧の礼」が生まれたのです。この事から「目上の人が目下の人に礼儀を尽くして迎えること」を三顧の礼と言います。当時の身分差や礼儀を考えるとこれは凄いことであり、そこまでして迎え入れられた諸葛亮、そしてそこまでして迎え入れた劉備も凄い人物だと思います。
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出師表にも出てくる
この三顧の礼は正史三国志において、もう一度出てきます。それが諸葛亮が書いた「出師表」です。「先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激、許先帝以驅馳」これは「先帝は私の身分が卑しいものであるにも関わらず、何度も頭を下げ、三度私の元を訪れて下さいました。
私はこれに感動して先帝にこの恩返しを致すこととしたのです」と言った感じになります。この記述から如何に諸葛亮が劉備の行動に感動していたのかが分かりますね。
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