今回は光武帝についてお話をしていきたいと思います。光武帝はその名を劉秀、中国史において名が知られている名君の一人。その光武帝をぜひもっと取り上げて欲しいというお話がありました。
なのでまずはその光武帝がどれほど「すごい」のか、拙いながら筆者が説明をさせて頂きます。
この記事の目次
光武帝の「すごい」
前述したように光武帝の名は劉秀、字は文叔。そしてその偉業を簡潔にまとめると、漢王朝を復興させた……これに尽きます。
少し分かりにくいですが、漢王朝は前漢、後漢とあるように、前漢の時代は王莽によって一度滅びを迎えているのです。つまり光武帝劉秀は、歴史上一度滅びた王朝の復興を成し遂げた人物なのです。これがどれだけ凄いのかは、また後で述べていきましょう。
漢委奴国王印という金印
さてそんな光武帝、実は日本とはとある関りがあります。それこそが金印、漢委奴国王印という、日本で出土した純金製の王印のことです。この金印は後漢書にある記述「光武賜以印綬」のものではないかとされています。
このことから日本では光武帝のイメージと言えば金印を貰った人、もしくはそのイメージも良く知らない、もしかしたら劉秀という名前すら知らないという人も多いのですが、その経歴と成し遂げた偉業は目を見張るものがあります。
次にその経歴を見ていきましょう。
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劉邦の末裔
光武帝は景帝の七男で長沙王となった劉発の末裔です。これだけだと分かりにくいですが、景帝は劉邦の四男、後の文帝の子で、その七男の血筋に名を連ねる存在です。
この皇族に名を連ねる者というのは、三国志における劉備を思い起こせますね。しかし皇族の血筋を引くものといってもそれはあくまで名ばかりのもの。
幼い頃の劉秀は行動的ではなく、引きこもりがちで一族でも目立たない存在であり、小ばかにする人もいたとされています。そんなある日、劉秀の人生は大きく変わりました。
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王莽による簒奪
それこそが王莽による皇位簒奪です。王莽は自ら皇帝となり、新王朝(新しい王朝ではなくそういう名前)を開きました。しかし王莽の政治は時代に急ぎ過ぎたのか国政を停滞させ、各地で反乱が起こるようになります。
この際に劉秀は兄と一緒に蜂起。この時には既にその優秀な片鱗を見抜いている人も多かったのか「劉秀が参加するなら」と多くの人がその下に駆けつけたと言います。
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