水滸伝、は三国志演義と並ぶ作品とはよく言われますが、その作風は三国志演義とはだいぶ趣の違うものでもあります。そして水滸伝は良く「ピカレスクロマン」もしくは「ピカレスク小説」とも言われることがありますね。
そこで今回は水滸伝を三国志演義と比較しつつ、このピカレスクロマンについても少しばかりお話したいと思います。
この記事の目次
ピカレスクロマンについて
まずはピカレスクロマンについて、ざっくりと説明しましょう。
ピカレスクロマンとは、16世紀から17世紀のスペインで流行った小説の形式のことです。この形式の小説を、ピカレスク小説、と呼んだりもします。主にピカレスク小説では
- 社会的には認められない立場の主人公
- 悪いことをするけどそれは生きるため
- 悪役だけどやることは結果的に正義の味方
つまり、悪役主人公ですが、単なる悪役ではなく、義賊だったり、(政治的に)巨大な悪に立ち向かったりする存在として描かれることが多いです。日本人ならお馴染み「ルパン三世(るぱんざさぁ〜ど♪)」を想像して頂けると分かりやすいですかね。
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ピカレスクロマンの背景
このピカレスクロマン、生まれには背景があります。15世紀、スペインには騎士道小説が広まりました。騎士道小説は主に「清く正しく強い騎士」が主人公であり、その騎士が「様々な冒険をする」「美しいレディと出会う」「レディ、もしくは善良な住民がドラゴンとかに苦しめられる」「勇敢な騎士はもちろん戦う」「悪は滅びた!」「王様から褒められる」というような、現代で言うファンタジー、ヒロイック、ラブロマンス小説の原型とも言える内容でした。
そこに理想の騎士の姿がいれば、現実にはそんなこと有り得ない……そんな思想も生まれてくる訳で。ある種の現実を直視させる、皮肉めいた存在としてピカレスクロマンの存在が生まれてきたのだと思います。
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水滸伝
さて水滸伝、このピカレスクロマンであると良く言われますが、的を射ていると言って良いでしょう。めちゃくちゃざっくりと言うと水滸伝は「義賊を名乗る山賊が悪党(政治的腐敗の原因たる悪官僚たち)を倒す物語です。
登場人物たちは元々は役人をやっていたり、質屋をやっていたり、関羽の子孫だったり(※自称)しますが、最終的には梁山泊という場所に集まることになります。彼らは奸臣らによって無実の罪とは言え罪人に貶められた者もおり、腐敗政治をどうにかするべく立ち上がる……ということで、ほぼピカレスクロマンの形式に当てはまっていると言えるでしょう。
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三国志演義
では三国志演義はというと、ピカレスクロマンの形式には当てはまりません。
まず劉備は最初こそ身分は低いものの、蓋を開ければ漢王朝の血縁関係者と認められます。そして三国志演義では「悪」として曹操が存在しており、これと敵対する劉備は基本的に善性の人として描かれています。
敢えて言うならば「悪いことやっているように見えるけど漢王朝のためだから劉備は悪くないよ!」という点がピカレスクロマン……とは言えなくもないですが、三国志演義はどっちかというと忠義が主軸としたストーリーではないでしょうか。
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