数々の英雄が火花を散らす憧れの「三国志」。いまの時代になっても大人気なこの「三国志」ですが、果たして日本にやってきたのはいつ頃なのでしょうか?
今回の記事では「三国志」と日本人の歴史について探ってみましょう。
また、正史「三国志」と小説「三国志演義」それぞれについての歴史についても考えてみることにします。まずは正史「三国志」の成り立ちから。
正史「三国志」の成り立ち
「三国志」は中国における「三国時代」(西暦184年~280年くらい、諸説あり)の歴史が書かれたものです。著者は「陳寿」という人物で、蜀を経て中国を統一した「西晋」に仕えた人物です。
西晋では文章の編纂に従事し、そんな中で「三国志」が生まれました。正式な成立年度は不明ですが、西晋が成立した280年から陳寿が亡くなった297年の間に編纂されたと考えられます。
実は「三国志」は国の命令で編纂されたものではなく、陳寿が自ら書き上げたもの(私撰)でしたが、唐の時代(7世紀)に正式に「史書」として認められました。
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「日本書紀」に「三国志」からの引用がある!
さて、「三国志」が日本にやってきたのはいつなのでしょうか?
日本の内容が現存する史書は「日本書紀」ですが、実はそこには「三国志」からの引用があります。それは「日本書紀」第九巻「神后皇后」の所に存在します。
まずは神后39年の場所に「魏志によると、倭の女王が魏に使者を送った。」と記載されており、翌年の神后40年には「魏志よると、魏は詔書や印綬を持たせた使者を倭国に遣わせた。」
さらに神后43年、「魏志によると、倭の王は使者を送り贈り物を届けた。」と日本書紀にはそれぞれ記載されています。ここでいう「魏志」とは「三国志」の中の有名な「魏志倭人伝」の事を指しています。「魏志倭人伝」は卑弥呼や邪馬台国について書かれていることで有名な文章です。
日本書紀が成立したのは西暦720年ころと言われていますから、少なくともこの頃には「三国志」が日本に伝わっていた可能性は高いでしょう。
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小説「三国志演義」の成立
正史「三国志」は昔から貴族層や知識人の間では認識されていたようです。しかし、多くの日本人が「三国志」を知ったのは小説「三国志演義」の影響が大きいと考えられます。
それではその「三国志演義」が成立したのはいつ頃なのでしょうか?
「三国志演義」の著者は「羅貫中」という人物と言われていますが、正確には不明です。その成立もよくわかっていませんが、少なくとも明の時代(1368年~1644年)には成立し、その後は庶民の間に広まったと考えられています。
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日本に「三国志演義」が伝わったのは?
日本に小説「三国志演義」が伝わった時代は正確にはわかりませんが、江戸初期には儒学者などの間では広まっており、江戸幕府の御用儒学者である「林家」は「三国志演義」の影響を受け、諸葛亮を絶賛する漢詩を残しています。
「三国志演義」は1689年に僧の「湖南文山」の翻訳が出版され、一般の庶民にも広まっていきました。中でも1836年から刊行された「絵本通俗三国志」は錦絵が描かれた「三国志演義」の決定版ともいえるもので、大ブームを巻き起こしたそうです。
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日本以外に広まった三国志は?
正史「三国志」は中国と交流のある国々では早くに広まっていました。一方小説「三国志演義」が日本で広まったのはおそらく江戸時代初期と考えられます。さて、日本以外の国では「三国志演義」はいつ頃広まっていたのでしょうか?
お隣韓国では朝鮮王朝時代に出版されたと考えられる「三国志通俗演義」が発見されました。これは西暦1516年に出版されたものと考えられています。朝鮮王朝では頻繁に中国の王朝と交渉し、書物も輸入していましたから早くに「三国志演義」も読んでいたのかもしれません。
韓国では実は関羽を祭る「廟」が多数存在するのですが、これは豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した際に、援軍としてきた明軍が武神としての「関羽信仰」を持ち込んだのが由来であるそうで、そのころから急速に「三国志」が朝鮮半島で広まったのかもしれません。
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三国志ライターみうらの独り言
「三国志」が日本にやってきたのは意外に古く、もしかしたら成立直後にはすでに日本の貴族層では知っていたのかもしれませんね。一般庶民に広まったのは江戸時代ですが、それからは本場中国人が驚くほど日本では流行しているようです。
私が中国人の高校生と話した際に先方はあまり三国志について詳しくなかったのを思い出しました。
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