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諸葛亮はどんな仕事をしていた?官職別に見た役割をまとめてみた

2022年12月10日


 

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挑発する諸葛亮孔明

 

諸葛亮(しょかつりょう)は軍師中郎将から始まり最終的には丞相や録尚書事(ろくしょうしょじ)益州牧(えきしゅうぼく)と様々な官職に就きました。

 

 

孔明

 

これは劉備(りゅうび)勢力が拡大するにつれて諸葛亮が担う役割も多くなっていったことを示していますが、実際にどんなことをしていたのか分からない人もいると思います。

 

過労死する諸葛孔明

 

 

そこで今回は諸葛亮が仕官した直後から五丈原(ごじょうげん)で陣没するまでに就いた官職と担っていた役割を解説していきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛亮、仕官直後の役割

諸葛亮孔明の天下三分の計に感化される劉備

 

 

諸葛亮が劉備に使えるようになったのは208年からですが、この時点では劉備自身が流浪の身であったために諸葛亮には役職がありませんでした。ただ、孫呉との同盟や赤壁(せきへき)での戦などに関して、劉備に助言をする顧問的な立場にいたのではないかと推測します。

 

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209年、軍師中郎将

龐統と孔明を手に入れた劉備

 

 

赤壁の戦いが終わり荊州(けいしゅう)南群の平定に際して、諸葛亮は軍師中郎将へと昇進しています。軍師中郎将は劉備が設置したオリジナルの官位で、諸葛亮以外だと龐統(ほうとう)が任命されました。

 

孔明(諸葛亮)から重宝される趙雲

 

もともとは後漢の官位であった中郎将の派生で、地位は高くありません。後漢時代の中郎将は近衛軍の指揮官でしたが、三国志時代には各将軍が任命する補佐的な立場となっています。

 

四輪車に乗る孔明

 

 

頭に「軍師」と付いているのは実際の職務に沿った名前が付与されたものと考えられるので、軍師として政治や軍事のアドバイスをしつつ、一部兵権が与えられたということです。また、上記に加えて諸葛亮は零陵(れいりょう)桂陽(けいよう)長沙(ちょうさ)の統治を任されていて、そこで徴収した税は軍資として使用されました。

 

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214年、軍師将軍

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

劉備が成都を攻略した後の諸葛亮は軍師将軍へと昇進します。これは中郎将から雑号将軍になったということで、「軍師」の役割も引き継いだ状態で兵権が大きくなったイメージです。

 

 

董和 中国後漢末期の武将・政治家

 

 

また、この頃から諸葛亮は董和(とうわ)とともに左将軍府で働き始めています。正史では「署左将軍府事(しょさしょうぐんふじ)」という名称で登場しますが、これが正式な役職を表しているのか、府で政務を行うことなのか意見が分かれるところです。

 

正史三国志_書類

 

魏や呉では設置された形跡がなく、劉備勢力独自の役割のようですが、後に諸葛亮が北伐する際にも留丞相府事(りゅうじょうしょうふじ)を設置して不在時の政務を任せています。

 

棗祇(そうし)食料・兵糧担当

 

実際にどんなことをしていたかですが、諸葛亮伝には劉備不在時に成都を守り、食事と兵士を満たしたとあるので、兵站維持(へいたんいじ)や兵士の増援なども行っていたようです。

 

兵糧を運ぶ兵士

 

実際に楊洪伝(ようこうでん)には劉備が増援の兵を送ってほしいと諸葛亮に依頼し、その是非を楊洪と相談していた旨が記載されています。また、楊洪の返答に満足した諸葛亮は楊洪を法正(ほうせい)不在時の蜀郡太守(しょくぐんたいしゅ)とするよう上表し、楊洪が十分に役割を果たしたことから後に正式な太守となっています。

 

兵糧(食料)を管理する任峻

 

 

このことから、左将軍府では徴兵や兵站維持、人事などを統括していたということになり、諸葛亮はそれを補佐する役割をもっていたのでしょう。

 

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219年頃、左将軍大司馬府事

車に乗る諸葛亮(孔明)

 

時期は定かではありませんが、後に諸葛亮は董和とともに大司馬府事(だいしばふじ)となりました。大司馬は劉備が漢中王となった際に任命された役職なので、恐らく219年以降に諸葛亮は大司馬府で働き始めたと考えられます。

 

大司馬は軍事の最高職で、大将軍よりも上の立場です。ただ、職務としては左将軍府とほぼ変わらなかったと思うので、徴兵や補給など軍事に関連する仕事を担っていたと予想できます。

 

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221年、丞相・録尚書事・司隷校尉

漢中王になる劉備

 

劉備が皇帝として即位すると諸葛亮は丞相と録尚書事に任命されました。丞相は君主(皇帝)の補佐をする役割であり行政権を持ちます。録尚書事は上奏文の取次などを行う尚書省(尚書台)の最高位です。

 

孔明

 

 

尚書は上奏文に目を通して、それを皇帝に取り次ぐかどうかを判断する権限を持っていたので、丞相の進言であっても通さずにもみ消すこともできます。そのトップに諸葛亮がなるということは、諸葛亮の意見は絶対であるということです。

 

張飛の虎髭

 

また、張飛(ちょうひ)が就いていた司隷校尉(しれいこうい)という官職もその死後に諸葛亮へと渡っています。司隷校尉は首都近辺の警護や行政の執行、さらに不正を取り締まる役割を持っていました。他にも仮節という軍律違反者を処刑する権限が与えられているので、諸葛亮は政権内の大半の権利を有していたと言えるでしょう。

 

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鍾会の乱

 

 

223年、益州牧

司馬昭の質問に回答する劉禅

 

劉禅(りゅうぜん)が皇帝として即位すると諸葛亮は益州牧に任命されます。州牧は地方の行政権の他に反乱を鎮圧するための軍権も有していました。

 

曹操の使者を斬り捨てる武闘派の孔明

 

これによって諸葛亮は政治の意思決定から執行、法を犯したものを裁く権利、地方官および中央政府の人事権、軍権と国家の統治に必要な権限をほぼ全て持ったということです。途中、第一次北伐での失敗を受けて、一時的に降格していますが実質的な権限は変わっていません。

 

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劉禅

 

 

三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

今回は諸葛亮の役割をまとめてみましたが、一人国家と言っても過言ではないくらい全てのことを一手に引き受けています。結果的にこれが後進の育成を遅らせてしまい、最終的に人材不足が深刻化して国の弱体化を招いてしまいました。

 

孔明インタビュー

 

 

ただ、法によって公平な国家運営を目指すには諸葛亮の厳正な判断が不可欠でしたし、それがなければ蜀漢は途中で内部分裂などを起こして崩壊していたかもしれないので、いずれにしても選択肢はなかったのかもしれません。

 

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三国志ライフ

 

 

 

 

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TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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