孫呉を支えた人物、特に早くに父を失い、家を背負って立った孫策を支えた人物と言うと真っ先に周瑜が思い浮かぶとは思いますが、同じく孫策を支え、そしてその後は孫権を支えた人物として呂範がいます。
呂範、字は子衡。その誠実清廉は人柄で、孫呉を支えた名将。彼の生き様を知って頂くと共に、その字までもできれば覚えていって頂きたいものです。
この記事の目次
汝南から「袁術王国」寿春に行く呂子衡
さて呂範は繰り返しますが字は子衛、汝南出身の人物です。この字、きちんと最後に出てきますので注目です。テストには出ませんが覚えていって下さい。(じゃあ覚えなくていいじゃん)
時代は乱世、呂範は戦乱を避けるために寿春に行きました。そう、当時は袁術の手中にあった寿春で、呂範は孫策と出会います。孫策に時代の煌めきを感じたのでしょう、呂範は孫策を仕えるべき主と見定め、孫策もまた呂範を迎え入れることになります。
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極悪老人陶謙に袁術のスパイと疑われ拷問される
そして孫策は呂範を信頼して、母親を迎えに行かせることにします。この時に孫策の母は徐州にいたのですね。
そこで出てくるのが徐州牧をしていた陶謙、彼は迎えに来た呂範を袁術の配下と疑って投獄、拷問を受けてしまいます。しかし呂範の仲間や部下たちが役所を襲撃、陶謙の元から呂範を救出し、何とか呂範はこの窮地から逃れることができました。
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孫河と双璧と呼ばれた呂範
そんな呂範は孫策から深く信頼され、孫河と共に孫策の左右として評判であったと言います。孫策は呂範を身内同然に厚遇し、呂範が訪ねてきた時は奥に通して母親がいる座敷で酒食を振る舞ったと言います。呂範はそんな孫策の信頼に応え、多くの戦いで功績を挙げました。
そして呂範の忠義は孫策が亡き後も変わらず、孫権の代になっても功績を挙げ続けます。
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大司馬に任命される直前に死去
呂範は順調に出世を重ねていき、228年に孫権によって大司馬に任命されました。大司馬は国防長官みたいなもので、魏で言えば曹仁が就任していました。孫権からの信頼の厚さが良く分かりますね。
しかし悲しいことに、印綬を受ける前に呂範はこの世を去ります。孫権はその死を、心の底から慟哭したといいます。ここに、孫呉を古くから支えた武将がまた一人、世を去った瞬間でした。
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