『三国志』はもちろん、歴史の記録や物語では人と人が普通に会話をしています。
しかしふと考えてみると謎があります。
彼らは一体何語で話しているのでしょうか?
すべて漢字で書かれているだけになかなか意識されないのが、この言語の問題。
今回はその言語について紹介してみます。
この記事の目次
中国語にも様々な種類がある
まず現代の話からしましょう。
一言で「中国語」と言っても、その種類には様々あることをご存知でしょうか。
一般的に知られる中国語は北京の言葉、すなわち北京語です。
現在は「普通語」として標準化されていますが、元々は方言の一つでした。
日本の方言と違って、基本的にお互いに意思疎通が出来ない
広大な土地を持つ中国では実に多くの方言が存在します。
これらは漢語方言と総称されており、広東語、上海語、台湾語、客家語あたりが有名です。
これら中国の方言は、日本の方言と違って、基本的にお互いに意思疎通ができません。
いうなればアイヌ語と琉球語ほどにもかけ離れているからです。
更には「広東語」「上海語」と一括りにしていても、エリアによってまた少しずつ発音が変わり、
同じ方言のはずなのに通じないということもあるようです。
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文字・文法・発音には共通性がある
しかし文字(漢字)・文法・発音に共通性があるので、全くの赤の他人でもなく、遠い親戚くらいの繋がりがあります。
実は現代の漢語方言の多くは古い中国語で、先ほど例に挙げた有名方言は唐代あたりの発音を残していると言われています。
それゆえ、たとえば台湾語・客家語のバイリンガルの中には、広東語や上海語も聞いていると何となく意味が分かるという人もいます。
こうした地方ごとの言葉の違いは古代から存在していました。
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地理的な障害や人為的な制限によって言葉は独自に進化する
そもそも交流があるエリア同士であれば、コミュニケーションも頻繁なので自然と言語が共通するものですが、
山や川といった地理的な障害や、国境や関所といった人為的な制限によって人の接触が阻まれると、
言葉は隔てられたエリアごとに独自に進化します。
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江戸時代の各地の方言と始皇帝の天下統一
日本では江戸時代に藩が置かれるようになってから各地の方言が形成され現代に至ったことが知られています。
一方中国では秦の始皇帝が天下を統一するまでは国がバラバラに分かれていましたし、交通が分断された地域も多くありました。
始皇帝が文字の統一を国家事業として行ったのも、全国共通の意思伝達ツールが必要だったこともあるのでしょう。
話す言葉は違っても、書く文字が同じなら、ひとまず意思は伝わるというわけです。
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方言は2000年前から存在していた
ところでこの方言という単語ですが、約 2000 年前からすでに登場していました。
中国で最初の方言辞典はその名もまさしく『輶軒使者絶代語訳別国方言』、略して『方言』です。
遅くとも後漢代には作成されていたもので、作者は前漢の揚雄(ようゆう)とされています。
どうやって方言辞典は作られたの?
中央と地方の言葉の違いを語彙ごとに地域別表記した字引きで、都に来る地方出身者達から情報収集したものといわれます。
ただ少数民族や周辺諸国の言語はほとんど収録されていないので、 あくまで漢民族を対象にしたもののようです。
「方言」は他に「異言」という言い方もされていますが、一方、対義語となる標準語や共通語、
公用語は「雅言」「通語」「官話」等と言いました。
雅言って何?
「雅言」というと何やら京言葉っぽいですが、ここの「雅」は「みやび」ではなく「標準」 という意味です。
『論語』に出てくるので、恐らく春秋戦国時代あたりには共通語をそう呼んでいたのでしょう。
「通語」は『方言』内に見られますので、漢代にはこう言ったのでしょう。
「官話」は比較的新しい言い方で、近現代に使われていました。
「官」の「話」、つまり公用語です。
その時々の政治の中心となった地域の言葉(方言)が官話となったので、各地に「○○官話」が残っていますが、
現代では官話も方言のくくりの一つになっています。
現代の北京語は何て呼ばれてたの?
ちなみに現代の北京語はかつて「北京官話」と呼ばれていました。
たとえば現代の国際機関で働く人が英語なりフランス語が必須なように、上級の公務員として
仕官する人は当時の中央官庁規準の標準語・公用語をマスターした教養人であったと思います。
しかしそうではない場合はどのようにしてコミュニケーションをとったのでしょう。
通訳者の存在
そこで登場するのが通訳者です。 通訳・翻訳は「訳」とか「九訳」などと言いました。
動詞は「重(九)訳」です。
『後漢書』 によると「九訳」は「九重訳語」の略で、現代日本語の「重訳」に近いニュアンスです。
彼ら「訳」は『礼記』『史記』『漢書』『三国志』など色々な書物に登場していますが、大体 は匈奴や西域、朝鮮、日本といった周辺諸国の使者が中華の朝廷に表敬訪問する際や、逆に朝廷の使者が辺境に派遣される際についたようです。
『漢書』の注釈には「遠い国から使者が来ると、九訳を介して会話した」とあります。
また同じ『漢書』の西域伝には「訳長」、 百官公卿表という官職リストには「訳官」という職名が載っています。
主だった人は当時の公用語で会話していたでしょうが、お国訛りとかあったのでしょうか。
たとえば「ワイは曹操や」「オラ劉備だべ」「オイどんは孫権でごわす」・・・・・・
と登場人物のセリフを脳内で置き換えてみると、また違った面白さが味わえることでしょう。